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ニューズレターVol.20 (2007.09.13)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.20 (2007.09.13)

リマのペルーより、責自です。

ご無沙汰しています。いままで、何の近況報告もせず、いきなり再渡航した先か
らのメールで失礼します。

昨年末の帰国後、日本で受けたMRIや脳波検査などの精密検査で、深刻な異常は
見つからず、また、これといった後遺症もなく、身体的には、おおむね良好なコ
ンディションを保っています。

短期の仕事をしながら、壊れた自転車や装備などを買い換え、着々と準備を進め
ていましたが、身内の不幸などあり、再出発が大幅に遅れてしまいました。

スケジュールの都合上、行きたかったガラパゴス諸島は諦めざるをえず、また8
月中旬に起こったペルー沖地震の影響で、有名な地上絵のあるナスカを見ること
もできなくなり、なにかと思うに任せない状況ではありますが、無事に再出発が
できたことに感謝しています。

ここから、一旦事故現場付近まで逆走して北上、そこからアンデス山脈へと向か
い、山中を通ってボリビアを目指します。

例によって、近況報告遅れること多々あるかと思いますが、どうぞご心配なく、
見守ってやってください。


責自

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ニューズレターVol.19 (2006.12.13)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.19 (2006.12.13)

せきじです。ただ今ペルーの首都リマに滞在中です。

まず最初に、「これから危険な場所へと向かう」と予告しておきながら、その
後の経過を報告せず、皆様にはご心配お掛けしただろうこと、深くお詫びします。

結論から言うと、北部の危険地帯は何事もなく無事に通過できました。

が...

その後、えらい事に巻き込まれてしまいました。


●一時帰国
前回、少しもったいぶった書き方をしましたが、実はここリマから日本に半年
ほど一時帰国する予定をしていました。

その理由は、
「やっぱり、世界一美しい山を見に行きたい」
それに、
「できれば、ガラパゴスにも行きたい」

現地のシーズン、時間的な都合、総合的に考えて、南下をワンシーズン(半年
間)ずらすことに決めたのです。
一生で一度の旅、悔いは残したくありません。
そして...、


●事故発生
11月28日、ひどい頭痛と体中に痛みを感じながら目を覚ますと、白い天上と点
滴をぶら下げたポールが目に入りました。

「患者さんが目を醒ましました」
と、看護婦さんの声。

「そうか、事故ったのか...」

誰がそう説明してくれたのかは、もう覚えていませんが...
「君はトレーラーに轢かれたんだよ」

何故?、何処で?など考える気力はなく、ただ眠り続けたい一心で目を閉じました。

つぎに目を醒ましたときは、幾分意識もはっきりし、少しずつ状況を理解でき
る状態になっていました。
事の次第を説明してくれたのは、地元の新聞記者を名乗るウィリアンという青年です。

11月27日、当日の目的地にしていたレストランの数km手前で、追い越しを掛け
ようとして失敗したトレーラーに追突され転倒、頭を打って意識不明になり、
数時間前に通過したばかりの、最寄りの町へと運ばれたそうです。

翌28日さらに60kmほど北へ、事故当日の朝、出発した都市の病院へと搬送され
ました。僕が最初に目を醒ましたところです。

手に持たされていたのは、$100ドルほどの現金の入った財布だけでした。
「残りのものは、破損したものもあるが、すべて事故現場最寄りの町の警察署
にちゃんと保管してあるから、安心しろ」
と、その新聞記者は説明してくれました。


●リマへ
CTスキャンで脳内出血が確認され、また左耳から若干の出血がありましたが、
手術の必要は無いだろうというのが医者の判断です。
顔や肩、肘・膝ほか数ヶ所に擦り傷があり、体中ガーゼだらけでしたが、骨折
は無さそうです。

最悪の事態は避けられたこと、怪我の程度もそれほど酷くなかったこと、不幸
中の幸いと思わなければなりません。

「大使館に電話してみようと思うから、パスポートの番号を教えてくれ」
自宅から60kmほどの距離を、毎日見舞いに通ってくれた記者の彼は、そう言っ
て大使館に連絡を取ってくれました。

大使館から病院に連絡の入った翌日、さっそく二人の職員が来てくれました。
医務官の先生は、僕の加入している保険会社と電話で交渉。
秘書官の女性は、事故現場最寄りの町の警察署へ、所持品の受け取りに。

彼らの迅速な処理のおかげで、事故から6日目の11月2日、チャーターした小型
飛行機で、ここリマのクリニックに搬送されてきました。


●退院
ここで担当してくれた脳外科医の判断も同じでしが、依然頭痛がひどく、一人
でトイレにもいけない状態が数日続きました。
それでも、日に日に快復に向かっていることは実感でき、少し元気になってき
た頃には、何人かの見舞いも受けました。

そして11月16日、目眩や体中の痛みはまだ残っているものの、寝たきりでいる
必要の無い状態になった僕は、担当医の許可を得て退院、通院治療に切り替えました。
ここリマでは、以前にコロンビアの首都ボゴタでお世話になったファミリーか
ら、ご家族を紹介して貰っており、入院中に見舞いにも来て下さった彼らの家
にお世話になっています。

大使館に預かって貰っていた荷物は退院の翌日、早速回収に行きました。
真後ろから追突されたようで、後輪はグチャグチャに、スチール製のキャリア
までも見事に曲がっていました。
さらに、前輪左側のバッグは追突の衝撃で路上に放り出されたらしく、トレー
ラーに轢かれて中身のすべてがペチャンコになっていました。

これが、もし自分だったら...。

さらに、退院後に会うすべての人に言われます。
「よく何も盗られなかったなぁ!」


●懲りないやつ
事故に遭ったことは、もちろん不運です。

しかし、「怪我の程度が軽かったこと」「盗難に遭わなかったこと」「大使館
に助けて貰えたこと」「安心して通院治療が続けられる家があったこと」「家
族に代わり、いろいろと手を焼いてくれた方たち」、事故以降に起こったすべ
ての出来事や状況を振り返って、僕は幸運だったんだと思います。

きっと、いつも旅の無事を祈ってくれている皆さんのお蔭です。ところが、

他人様に心配と迷惑を掛け、手を焼かせておいてなお、ツーリングを続けてい
く事に対する熱意は捨てられません。

もうこれ以上、旅を続けていけない状態になっていたことも十分有り得た、と
いうことを考えたとき、そうならなかったが為に、しつこく皆さんにご心配を
お掛けし続ける事になるとは、なんとも皮肉な話です。

自身の努力だけではどうしようもない「何か」に巻き込まれることがあること
を考えたとき、

「心配ないから、大丈夫だから」

とは言えないのが、僕の旅なんだなと身を持って実感しました。

でも、敢えて言わせて下さい。

「今後はもう何も起こりません、起こしません」
「大丈夫ですから、どうぞご心配無きよう」

12月17日、来年6月再開へ向けて準備のため、日本へ一時帰国します。


ペルー、リマより せきじ

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ニューズレターVol.18 (2006.10.20)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.18 (2006.10.20)

どうもです。せきじです。ただ今ペルー北部にいます。

腕の傷も癒え、勇んでキトを出発しましたが、また道中いろいろありました。


●天気悪いぞー、坂多すぎるぞー
キトの南は「アンデスの廊下」と呼ばれており、5,000mを越える峰々が幹線の
左右に連なっています。連なっているはずでした...。

天気が悪くて、一峰も見れなかったんです(泣)。
せっかくアンデス走ってるのに...、景色見れんかったら、しんどいだけやん...。

ここアンデス北部はこれから冬に入ると言います。曇の日が多く、雨もたまに降ります。
それでも、相棒がいなくなり、一人になった僕は、過去数年間に数多くのサイ
クリストが襲われて装備を奪われたと悪評高きペルー北部の海岸線を避けるべ
く、アンデス山中コースを取りました。

このルートが、またとんでもなく辛い。ウンザリするほどアップダウンを繰り
返さなければいけません。後でデータを見ても、はっきり分かることなのです
が、今回のツーリングで一番辛いパートになりました(My Trackの標高グラフ
見てください)。



●またもやホイールトラブル
その上道が...、これまた非常に悪い。といっても舗装はされてるのですが...。

そして...。
またやってしまいました。

木陰の中、まるで小動物を捕らえる罠かのようにその存在を隠した大きな穴
に、高速で突っ込んでしまったんです。
未舗装なら最初からスピードを出していなかったものを...、舗装路だっただけ
に余計にたちが悪い。

前輪はもはや円形ではなく、一周まわるたびにガタッ、ガタッっと音を立てま
す。程度はマシと言えど後輪も同じです。
そこから百数十キロ、次の町まで、こんな状態の自転車で走らなければならな
いのは、とっても精神衛生上辛かったです。
気持ち悪かったです(でも、すべては自分のミスなんですよね)。

着いた町で、ようやく手に入ったリムは、本当に間に合わせにしかならない代
物。またもやホイールサイズが特殊であることに泣かされました。

ここで前輪のみを組み替え、再出発の準備中に風邪までひき、テンションは下がる一方。



●ペルー北部の危険地帯へ
昨年、同じ地域を走った日本人サイクリストからの助け(情報提供)を受け
て、国境から先もずっと山中ルートを取るつもりしていました。が、このホ
イールトラブルと天気の悪さに嫌気が差し、海岸線へと降りてきました。

ここアンデスも今季の観光シーズンを過ぎ、計画していた「世界一美しい山」
があるというブランカ山群国立公園へのサイドトリップも諦めざるをえなくな
ってしまいました。

ガラパゴスも諦めた。 世界一美しい山も諦めた。 一体何のために走っとるんや俺?

実は今、考えることあって、真っ直ぐ首都のリマを目指しています。
無事リマに到着した際、お知らせします。

取りあえず今は、目前に迫った200km強の無人砂漠地帯、90年代多くのサイクリ
ストが襲われたという危険地帯を無事抜けることに集中します。

どうか、無事を祈っていてください。


ペルー北部・ピウラより、せきじ


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ニューズレターVol.17 (2006.10.3)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.17 (2006.10.3)

ご無沙汰です、せきじです。

実は...、まだキトにいたりします。

みなさんにご心配掛けてはまずいと、一部の人を除き報告していませんでした
が、ここを出発するはずの日前夜、路上で警備犬(ロットワイラー)に腕を噛
まれ、怪我をしてしまいました。

現在も治療中、回復を待っているところですが、そう長くはかかりません。
近々ここを出発します。
ペルー首都リマまで一緒に走る予定だった相棒も、先に出発してしまい、ここ
から先は再び一人旅です。

療養中の時間を使って、新企画作ってみました。
その名も「Pedaling around the WORLD on Google Earth」です。
ホームページのメニュー欄にリンクを置いたので、GPSトラックデータ(拡張子
:kmz)をダウンロードし、Google Earthで読み込んでみて下さい。

●エクアドルの紹介
エクアドルという国名は、スペイン語で赤道を意味します。首都のキトは赤道
からおよそ30km南にあり、僕が現在滞在中のホテルは、ユネスコの世界遺産
(文化遺産)の指定を受けている、旧市街にあります。

旧市街は400年前の植民地時代の教会や建造物で満たされていて、とても風情の
ある街並みです...。
が、実のところ、コロニアルな街並みは若干見飽きていて、たいした感動もあ
りません。もったいない話です。

そんな旧市街も、もとはマチュピチュで有名なペルーのクスコに次ぐ、インカ
帝国第二の都市だったそうです。スペインからの侵略者たちが、帝国の都市を
破壊し、新たに彼らの街を作りあげた経緯は、メキシコ・シティのそれと同じです。

赤道直下といえば、さぞ暑いのだろうとお思いになるかも知れませんが、ここ
キトは標高2800mのアンデス山脈内にあるので、昼はポカポカ陽気、夜はちょっ
と冷えるかな、という程度のとても過ごしやすい気候です。

アンデス山脈を東に下れば、アマゾン上流の熱帯雨林気候、西に下れば太平洋
岸の亜熱帯気候、その先およそ900kmの洋上には、あの世界遺産(自然遺産)ガ
ラパゴス諸島があります。

僕のように宿に長期滞在していると、ガラパゴス観光を終えて戻ってきた旅行
客から「よかったよ~」という話をよく聞きます。また、実はアマゾン地域の
農場のご主人からも招待を受けていました。時間的な問題でこれらの地域を訪
れることができず、残念な思いをしています。

あれも、これも、全部やりたい、あそこも、ここも、全部行きたい、と考えて
しまいますが、そうもいきません。いろいろと制限のある中で、やれること、
行けるところを、これからも存分に楽しんでいきたいと思います。


次回の報告まで若干、時間頂くと思いますが、ご心配頂きませんよう。


エクアドル首都キトより、せきじ

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ニューズレターVol.16 (2006.9.16)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.16 (2006.9.16)

エクアドル首都キトより、せきじです。

赤道を通過しました!!!
とうとう南半球です!

●まったく、男ってやつは...
7/22、パナマ・シティより、空路にてコロンビア、カリブ海岸の街カルタヘナ
へと移動。ここで、日本人の経営する宿に投宿し、体調の回復を待ちました。

宿でやることといえば...、

ネット。

すると、以前からメールでやり取りのあったイタリア留学中のコロンビア人の
女の子が、休暇で帰国中とのこと。
彼女は、以前皆さんにお知らせした、旅行者ネットワークサービスを通じ、数
カ月前に僕にメールを送ってきました。

ずいぶん興味を持って貰ったみたいで、イタリアに来た際は、是非寄ってくれ
とのこと。しかし、彼女が卒業するまでにはイタリアには着けそうにありません。

「会いに来なさいよー」

という、彼女のメールに...。丸一日ほど迷いました。なぜか?

彼女の住む町は、これから走っていく方向と真反対だからです。しかも、僕自
身の旅程も遅れ気味です。
悩んだ挙げ句、荷物を宿に残し、空荷で120kmを往復することに。

まったく、男ってやつは、しょうがない存在です。女の子に会うために240kmも
自転車で走っていこうなんて...。

というのは、冗談で...、せっかくこうやって招待してくれているんだし、
120kmなんて、ここからイタリアまでの距離に比べれば、ゴミみたいなもんだと
思えば、せっかくのチャンスを逃す理由はないでしょう。

まぁ、下心0だったかといえば...、???ですが。

家に到着すると出迎えてくれたのは、彼女の叔母さんでした。
叔母さん曰わく、

「旦那と、近くに出かけているけど、すぐ帰ってくるわ」

「は? 旦那?」

なんと、既婚者だったんですねぇ。
残念といえば残念ですが、正直、逆にホッとしました。

結局、彼女と一緒に、ご主人の運転する車で、あちこち連れていって貰い、美
味しいものをたらふく食べさせて貰いました。普段ろくなもの食べてないっ
て、思われてたんでしょうかね?

念を押しておきますが、彼女が仮に男でも、訪ねて行ってました(きっと)。
もう一日ぐらい余分に悩んだかも知れませんが...



●相棒登場!
カルタヘナで体を休めていた宿に、なんと日本人サイクリストがやって来ました。

といっても、グアテマラを400kmほど走っただけの、ホヤホヤの新人です。
彼はもともと、バックパッカーでしたが、南米で出会った別の日本人サイクリ
ストに触発され、彼にとって世界旅行最後の地、南アメリカを自転車で旅すべ
く、わざわざメキシコへ必要なものを揃えに行っていたというのです。

しかし、メキシコで、そんなに便利なものが揃うわけがありません。
一年前に、彼の地で事故して、パーツを探し西へ東へ彷徨った僕にはよく解ります。

かなり無理のある荷物の積み方をした自転車を見て、おせっかいの虫がわき。

「メデジンまで一緒に走る?」

当初、一週間ほどのペアランの予定でしたが、一度別れてそれぞれ別ルートを
走った後、コロンビア南部の都市カリにて再会。ペルーの首都リマまでの危険
地帯を二人で切り抜けるべく、再びチームを組み、現在一緒に走行中です。



●サイクリスト天国
コロンビアの北部は、それこそ真っ平ら。毎日暑さに耐えながら走り、湿度に
悩まされながら夜を過ごしていました。

そして、とうとうアンデス山脈です。気候は一転、赤道近しといえど、2000mを
越える高所は寒いぐらいです。
2500mの峠を越えて、到着したコロンビア第二の都市メデジン以降、2500m~
3500mの峠を何度も越えながら、首都ボゴタを経由し、南部の大都市カリ、そし
てエクアドルの国境へと、山・山・山のオンパレードです。

山があるところ。そこは、ヒルクライムライダーの恰好の練習地。いるわいる
わ、平日はもとより、週末ともなれば、これでもかとばかりにトレーニングに
いそしむサイクリストと出くわします。そして、彼らのなんと人懐っこいこと。

さらにビックリしたのはツーリング中のコロンビア人に出会ったことです。そ
れも二組。もちろん国内ツーリングですが...。まさかコロンビア人も、そんな
ふうに旅をするとは思ってもいませんでした。

首都ボゴタでは、数年来、南米一周を夢見て、いつか一緒に旅してくれる相棒
が現れることを、いまかいまかと待ち受けている男性とも知り合いになりまし
た。目を輝かせながら、永年来の夢を語る彼は、まるで夢見る子供のようです。

ボゴタからほど近いイバゲという街では、60も近い老年MTBライダーに招かれ、
彼の自宅に投宿。翌日曜日は、年2回だけ開催されるという、参加者200名余の
現地MTBツアーに飛び入り参加させて貰いました。

また、コロンビアでは各都市で、かなりの数の自転車屋周りもしました。交換
したいパーツが何点かあったからです。彼らショップのオーナーや従業員も、
いつもいつも大歓迎です。

まだ行ったことのない僕には比較のしようもありませんが、きっとヨーロッパ
並、いや、もっとサイクルスポーツが盛んな国。それが、僕の観たコロンビアです。



●一番好きな国
コロンビアでも沢山の人々にお世話になりました。自宅にお世話になっただけ
でなく、飲み物や食事をごちそうして貰うことも多々ありました。

コロンビアには、麻薬やゲリラなど、何かしら危険なイメージがありますが、
それを理由にこの国を訪れない旅行者も数多くいます。
とくに日本人に関して言えば、外務省の発信している海外安全情報の「大袈裟
すぎる」といえる危険度の設定が、危ない国のイメージ増大を助長しているこ
とは、否めません。

事件・事故を未然に防ぎたい彼らの考えもよく分かりますが、ある一面だけを
強調して、その国の本当の姿を見せない、そのことで、この国を知れずにいる
人々が多くいることを考えると、とても悲しい思いがします。

安全な国、ではありませんが、少なくとも50日間の滞在の間に危険を感じたこ
とは一度もありませんでした。
人々のやさしさがにじみ出ている、とても温かい国。僕にとってコロンビア
は、今まで訪れた国の中で、一番好きな国のひとつになりました。

機会があれば、今回の旅行中にもう一度、戻ってきたいと思っています。



●予定
相棒の都合により、9月末のペルーの首都リマへの到着を目指して、現在若干
ハイペースで移動中です。
10月初旬、リマより、次回の報告をさせて頂きたいと思います。

今回は、配信が遅れ、みなさまにご心配をお掛けしたことと思います。元気で
やっておりますので、どうぞご安心頂きますよう。


エクアドル首都キトより、せきじ


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ニューズレターVol.15.5 (2006.8.24)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.15.5 (2006.8.24)

ご無沙汰しております。
ただ今、コロンビアの首都ボゴタに滞在中です。

報告が遅れて、大変申し訳ありません。
言い訳をするようで、たいへん心苦しいのですが、諸事あって、得に素晴らし
い出会いが多く、なかなかニューズレターの原稿書きをする時間が取れません。

カリブ海岸の街カルタヘナより、ここコロンビアの首都ボゴタまで約1500kmを
無事に走り、これから、エクアドルとの国境へ向けて出発するところです。
無事でいること、心から、この国の滞在を楽しんでいることだけ、報告させて頂きます。

近々、Vol.16送りますので、しばしお待ち下さい。

ニューズレターVol.15 (2006.7.20)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.15 (2006.7.20)

まいどです。パナマ・シティより、責自です。

予定どおり、7月10日パナマ・シティに到着しました。
で、何でまだパナマ・シティにおるんだ?と...

実は、運河観光を済ませ、自転車梱包用の段ボールを手配し、と精力的に動き
回っていたのですが、3日目、どういうわけか風邪(インフルエンザ?)をひ
いてしまい、4日間ほど、ベッドから起き出せない状態になってしまいました。

そして、やっと行動再開できるようになったと思ったら、今度は、どの航空会
社も満席で、席が取れないと言われ、ここに釘付けにされてしまったのです。


●パナマとパナマ運河
見学に行ってきました。パナマ運河。

どういうものか簡単に説明します。

海抜0mから船が進入、閘門(こうもん)という施設(狭い水路をゲートで出入
り口を塞いだ水槽のようなもの)を使って、海抜26mに船を押し上げます。
船は地峡内の河と湖を通過し、再度、閘門にて海抜0mへ降ろされるという仕組みです。
1914年にアメリカが完成させ、1999年12月31日にパナマへと返還されました。

通過する船は一体いくらぐらい、支払ってるのか?
パンフレットによると、2003年度に運河を通過した船舶の合計は、11,725隻。
支払われた通航料は6億6600万ドルとあります。単純計算すると、一隻あたり
56,802ドルです。

一日の航海に必要な経費など知る由もありませんが、南米大陸を回り込むよ
り、運河を通過する方が、当然コスト・パフォーマンスに優れているんでしょうね。

他にも、
通貨船舶の約40%が、極東アジア-アメリカ東海岸間の船舶
過去の最低通航料=36セント、1928年リチャード・ハリバートン氏が運河を泳
いで渡ったとき
運河のユーザー比、アメリカ69%、中国18%、日本17%...
など、興味深いデータ、面白いデータもあります。
http://www.pancanal.com/
よろしければ、どうぞ。

パナマの経済は、GDPの70%を第三次産業に頼っている、と聞いていたので、き
っと運河事業はその中核なんだろうなぁと、思いきや...、運河サービスで得ら
れる外貨はGDPの6.4%程度なんだそうです。つまり、サービス業全体の10分の1
にも満たないっていうことです。

じゃぁ、他の9割は? 僕の知り得た範囲のことといえば、

カリブ海側の街コロンには、中南米最大規模のフリーゾーンがあり、各国から
船で買い付けにやってくる商人がウジャウジャしていますし、ここには外国資
本もたくさん入っています。

金融センターもあるそうで、「生産」はしなくても、金だけは集まってくる場
所みたいです、ココは。

また、これはデータには載ってくるわけありませんが、コロンビアマフィアの
麻薬輸出中継地であったり、中国マフィアの不法移民団アメリカ送り込みの中
継地であったり、裏の世界経済の中心地の一つと言えるのかもしれません。

一観光客としては、物価が高いことで、苦労しております。



●予定
先ほど、無事チケットの手配を出来ました。7月22日のフライトで、コロンビア
のカルタヘナへと渡ります。


では!

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ニューズレターVol.14 (2006.7.5)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.14 (2006.7.5)

前回、5日間ほど休みを取っている間、一粒も雨降らなかったのに、走行を再
開した途端に降り出しました。いったい、どないなっとんねん。

次回はパナマあたりから、と予告していましたが、まだパナマ(パナマ・シテ
ィ)まで1週間近くかかりそうですので、心配お掛けしないように、中間報告です。

出発後、気合いを入れてパナマ・シティまで走ってしまうつもりでしたが、コ
スタリカに入ってから、とんでもない山道に行く手を阻まれ、なかなか前に進
めず、首都サン・ホセにてまた5日間ほど休養取っておりました。

そして、現在ようやくパナマへと国境をまたぎ、中米のゴール予定地、パナ
マ・シティまで残すところ500kmほどといったところです。


●中米のスイス「コスタリカ」
みなさん、コスタリカという国の名を聞いて、どんなイメージをお持ちでしょうか?
僕自身はと言うと、コスタリカという国があることは知っていても、それが、
世界地図のどの辺にある国なのかすら知りませんでした。

そして、中米ツーリングがはじまり、この国を訪れるまでは、他の中米各国と
似たり寄ったりなんだろうと、イメージしてました。

ところが...。

実際に走ってみてみるとビックリ。まるで「中米」をイメージさせない国なんです。

ニカラグアから国境をまたぎ、首都へと伸びる幹線沿いにちらほらと見かける
農園や彼らの家のなんと立派なこと。
バラックと言いますか、掘っ立て小屋のような家などほとんど見かけません。

そして、子供たちに、「チーノ!」もしくは「グリンゴ!」と叫ばれること
も、全くなくなりました。
メキシコ以南、ニカラグアまでは、よく「チーノ(中国人)!」とバカにされ
たような呼ばれ方をします。
また、エルサルバドルやホンジュラスあたりから南では、何故か「グリンゴ!
(アメリカ人に対する蔑称)」と呼ばれることも多くありました。
幹線道路を走っていると、どこからともなく、そう叫んで来るのです。

他の中米各国でよく見かける、パンツ一丁で、いかにも貧しげな子供たちな
ど、この国には存在しないようです。

他に例をあげると、
・年季の入った車が少ない。
 綺麗な車のなんと多いこと。

・いままで道路脇に、これでもかというほどたくさんあった、個人のパンク修
理屋が無い。
 パンクしないんでしょうか? それとも、JAFのようなサービスでもあるのでしょうか?

・オートバイのライダーは必ずヘルメットをかぶっている。
 これがメキシコだと、ほぼ100%ノーヘルです(法律上はかぶらないといけま
せんが...)。

・アメリカから払い下げられてきたスクール・バス(中米各国ではこれを路線
バスとして使っています)を見かけない。
 ちらほらとは見かけますが、ほとんどは、新しい車両です。

物価も高くなりました。日本と比べればまだまだ安いのですが、それまでの国
に比べると、ものによっては5割増しなど、安い物価になれてきた僕には、ち
ょっと手の出せないものもあります。

最初に訪れた街のスーパーには、「うどん」や「そうめん」なぞ置いてあるで
はありませんか。そして、首都サンホセのスーパーには、なんと「ほんだし」
や「乾燥ワカメ」、「干ししいたけ」などが、当たり前のように陳列されているのです。

インディヘナ(先住民)の人々も見かけなくなりました。それもそのはず、何
と国民の94%が白人だと言うのです。

国境を挟んで数十kmの間に、こんなにも大きな違いを見せつけられるとは、ま
さに青天の霹靂です。
前回リポートしたGDP(購買力平価説)のデータを見ていても、まったくこんな
違いを予想することはできませんでした。

どこの誰が、そう形容し始めたのか知りませんが、ガイドブックなどではコス
タリカのことを「中米のスイス」などと呼んでいたりします。
これは、この国が憲法により常設軍を禁止している事を、スイスのそれに喩え
ての呼称だと思うのですが、中米にあって、中米を感じさせない国という意味
で、僕は「中米のスイス」を肌で感じました。



●走ってばかり
最近、距離を消化していくことを考えるばかりで、なかなか、その国を知るチ
ャンスを持てずにいます。雨が多くキャンプするのが億劫で、ホテル泊まりの
毎日なのも、現地の人と知り合う機会が得られない原因だと思います。

首都サンホセでは、郊外のホステルに投宿していました。
ここで、毎日、旅行客が入れ代わり立ち代わりするのを見ていたのですが、な
かでも、とくにアメリカ人の観光客が多いと感じました。
きっと、彼らの招致に力を入れているんだと思います。沢山お金落としてくれ
るからなんでしょうか?

ここで、ある二人のアメリカ人夫婦に誘われ、彼らの借りたレンタカーで近く
の火山や、ワニが観れるという河など、連れていって貰いました。
彼らに誘って貰わなければ、本当にただ素通りするだけになるところでした。

ところで、レンタカーはなんと「R」のマーク。そう、トヨタ・レンタカーの車
です(車そのものはトヨタ傘下のダイハツのものでしたが)。
アメリカでは、トヨタのレンタカーなど見かけた記憶がありません、彼らもア
メリカには無いと言っていました。メキシコにも確か無かったように記憶しています...。
北米市場に食い込めなかったトヨタ・レンタカーも、ここコスタリカでは、
BudgetやHertzよりもメジャーな存在のようです。
サンホセを出発して以降も、このダイハツの車を見かけるたびに、「おっ、ま
たトヨタやな」ほくそ笑んでました。



●中米最後の国「パナマ」へ
現在の地理的な分類では、パナマは中米に位置していますが、古くスペイン統
治時代は、ペルー副王領の一部でした(ちなみに、コスタリカ以北の国々は、
グアテマラ総督府の管轄でした)。

ここからタイムゾーンも変わり、コロンビアやエクアドル、ペルーと同じ、
GMT-5になります。ちょっと気が早いですが、なんとなく南米の入り口に到着し
たような気がします。

スペイン統治時代、運河が存在するずーっと以前から、パナマ地峡は、交通・
物流の要衝だったそうです。
・ボリビア産の銀は太平洋を海路でパナマに運ばれ、カリブ側から再び海路で
ヨーロッパに運ばれた。
・西部開拓時代、アメリカ東部から西部への移住に、この地峡を経由した人々
も多くいる。
 など、昔は陸路より海路の方がずーっと効率がよかったのですね。
そんな要衝を国のど真ん中にかかえたパナマですから、いつも外からの干渉を
受け続けてきた歴史があります。
ペルーの統治、コロンビアの支配、アメリカの干渉など...。
とても、おもしろいので、興味のある方は、ネットで勉強されてみて下さい。

以前に報告したとおり、ここパナマも米ドルを自国通貨として流通させていま
す。ただ面白いのは、それをバルボアと呼び、センターボ硬貨などは、自国で
鋳造したものも合わせて流通させていることです。
パナマ国外では通用しない硬貨は、きっちり使い切るように気をつけねばなりません。

そして、パナマへ国境をまたいで、また驚かされました。
今まで片側一車線で、路肩の無かったコスタリカの道が、突然片側二車線で中
央分離帯のある道に変わったのです。
アメリカからメキシコへと国境を越えたときに感じた「世界が変わった」とい
う感覚は、もう長いこと感じていませんでしたが、ニカラグアからコスタリカ
へ入ったときといい、だんだんと、国境越えの時のわくわく感が復活してきた
気がします。

現在滞在中のDavid(ダビ)は、パナマ第二の都市らしいです。だからでしょう
か、スーパーに足を運んだのですが、これがまたビックリ。まるで、アメリカ
のスーパーです。置いている品々も、アメリカでよく見た懐かしものばかり。
今までは、フリホレス(メキシコ・中米でポピュラーなインゲンマメ)の缶詰
めだったのが、ベイクド・ビーンズの缶詰めになりました(広義には同じものですが)。
物価も引き続き、若干高めです。ビスケットなどでも、安い値の付いたブラン
ドはすべて、ブラジルやアルゼンチン、ベネズエラなど南米の国々から輸入さ
れてきたものです。

国をまたいで感じるこのギャップが、旅のひとつの醍醐味です。



●予定
ここから、パナマシティまで残り500kmほどです。パナマシティからは、空路も
しくは海路でコロンビアに渡る予定です。
パナマを出る前か、コロンビアに着いた後か、まだ分かりませんが、それま
で、しばしお別れです。


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ニューズレターVol.13 (2006.6.17)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.13 (2006.6.17)

ご無沙汰です。中米はニカラグアから、責自です。

選んだルートが悪かっただけなんですが、とにかく山が多い、中米は。
しかも、ずいぶん暴れん坊な前線のおかげで、二日ほど、どしゃ降りの雨の中
の走行を余儀なくされました。
地元の人曰わく、ハリケーン並の雨だったと...。

雨降ってても走れます。でも、雨降ってると、景色は見れないし、路面や追い
越していく車への気配りに精一杯で、走行を楽しむ余裕がまったくありませ
ん。やはり、雨は降っていないに越したことはありません。

一年前、このまま走ると中米で雨期に突入するからといって、メキシコでワ
ン・シーズン待つことにしました。なのに、今シーズンの走行開始は、去年ス
トップした時点より、さらに遅かったではないですか...。
キューバへ行ったり、してたこともありますが、出発遅れは、自身の行動力の
なさが原因です。情けない...。

では、グアテマラ以降の様子を...


●グアテマラ終盤戦
アンティグアを出発した日、数十分で標高を1000m以上下げました。途端に空気
が生ぬるくなり、体にベタつきを感じるようになりました。標高だけはナメて
はいけません。

前回グアテマラ人はどうも、フレンドリーでないと報告しましたが、南部の人
はけっこう親しげに話しかけてくれました。人口の大半が、国の南部に分布し
ていると、後から知りました。北部は田舎ばっかりだったんですね。

アンティグアでは、インディヘナのおばちゃんたちは、カラフルな民族衣装を
着ていますが、その辺の村では、形は似ていても、もっと質素な服装をしています。

これがメキシコだと、いくら田舎町でも、どこでも民族衣装を見かけることができます。
なぜグアテマラは、アンティグアだけ?
観光客対策か! というのは邪推でしょうか?


●その名は、「救世主」
グアテマラの次の訪問国が、エル・サルバドルです。
大袈裟なサブタイトルを付けましたが、単に「エル・サルバドル」を日本語に
直訳しただけです。
「エル」は定冠詞、英語でいう「The」にあたります。そして、「サルバドル」
の部分が「救世主」です。

だから、どうした?

すみません、何故、国の名を「救世主」としたのかは、僕も知りません。どな
たかご存じの方、いらっしゃったら教えてください。


●節操のない国
これが、エル・サルバドルに対して、僕が感じた印象です。

グアテマラから国境をまたいで、最初に気付いたのが、電柱からガードレー
ル、バス停に路側帯、幹線にかかる高架に至るまで、ありとあらゆる所が、カ
ラフルにペイントされていることです。
一番、よく目にするのは、フランス国旗と同じ、赤白青の組み合わせ。他に、
青と黄色、緑と白など、さまざまです。

いったい、何のためだろう? と最初不思議に思っていたのですが、国境近く
の村のオッチャンに聞いても、「さぁ、なぜだか知らん」と...、さっぱり的を得ません。
でも、しばらくして、ふと気付きました。現地人に聞くまでもありません。こ
れらは間違いなく、各政党のトレードマークです。

道端で、トラックの駆動系を修理していた、別のオッチャンに聞いた内容によると、
選挙前になると、このように、国中が各政党の色に塗りまくられるそうです。

きっと投票用紙には、各政党のトレードマークがプリントされているんです
ね。有権者は、そこに印を付けるんでしょう。
案の定、一番よく見かける、赤白青の政党が、第一政党だと言っていました。

こんな選挙活動って、ありなんでしょうか?
選挙資金は、塗料の購入費用と、ペイントの人件費?
あっ、人件費の方は、低収入生活者の労働機会創出という点で、国民に貢献してるか...。

でも、

最初に、「なぜだか知らん」と答えた、彼はいったい...。


●流通しているのはアメリカドル
エル・サルバドルで流通している通貨は、アメリカドルです。
両替の必要がないという点、物価を比較しやすいという点では、とても便利な
んですが、その国独自の紙幣やコインがないというのも淋しいものです。

実は、各国の紙幣をコレクションする。キューバ訪問以来、こんなことを始めました。
僕は、とくに土産物を買ったりするようなことがないので、何か記念に残せる
もので、かさばらないものを、と考えると、自然に、この紙幣コレクションに
たどり着きました。

エル・サルバドルで、ドルを全面的に導入したのは、3年ほど前の話だそうで
す。現地の人曰わく、「ドルが導入されて儲かってるのは企業だけ、一般労働
者の生活はさらに苦しくなった」そうです。
「最低賃金が日当3ドル50セントで、一本50セントするペットボトルのコーラが
買えるかい?」
ん~、確かに。

聞く話によると、この先の国では、パナマやエクアドルもアメリカドルを流通
させているとの事です。

ヨーロッパでは次々にユーロが導入され、アメリカ大陸でも、こうやってUSド
ルを流通させる国が増えているということは、もう既に幻となった通貨も、数
多くあるということです。

便利な世の中になった反面、失われたものも多いということですね。残念。


●英語
なぜか、エル・サルバドル以降、英語で話しかけられる事が多くなりました。
「セニョール!」ではなく、「ミスター」と呼びかけられ、「ダ メ ウン 
ドラレス(一ドルおくれ)」の代わりに「ギヴミー ワン ダラー」です。

さらに、英語表記の職種が、やたらと目に付きます。「Car Wash」だったり、
「mini Super」だったり。ちゃんと、スペイン語で、「Auto Lavado」や
「Tiendita」といった言葉があるのにです。

選挙の仕組み、や、ドルの流通、中途半端な英語の普及、これらが、僕に節操
のない国と感じさせた主な理由でした。


●サッカー戦争
いやー、負けましたね、日本。
せっかくなので、今一番ホットな話題に関係あるネタです。

エル・サルバドルからホンジュラスへと越境する際、ちょっと迷いました。
というのは、素直に幹線を通ると、ホンジュラスの走行距離が150kmほどと、ほ
ぼ1日で通り抜けられる距離になってしまうからです。
国が扇形をしていて、一番細くなった部分を、エル・サルバドルとニカラグア
に挟まれているので、こんなことになっているんです。

ここを通り抜けるだけでは、ホンジュラスを知ったことにはならん、と、エ
ル・サルバドルの東部から北上、ぐるりと回り込むようにして、ホンジュラス
の首都テグシガルパを通り、ニカラグアへと抜けるルートを取りました。
本来一日のところ、四日です。

結果からいうと、まさに選択ミスでした。
国境付近には40km強のダートがある上、標高も1500m超。部分的に8%を超える、
とんでもない登り坂などがある悪路を、雨の中走ることになりました。

手持ちのカナダ製、某有名地図メーカーの地図にある国境線は、まったくの間
違い。GPSに入っている世界地図の国境線もまた同様に間違い。

いったいいつになったら、国境に着くのかと、雨の中、必死に自転車を押して
歩き続け、ようやく国境にたどり着いたとき、いつもならウジャウジャといる
路上の両替商が一人もいませんでした。
あまりにマイナー過ぎる国境だったようです。

ホンジュラスの通貨「レンピラー」を一銭(銭?)も持たずに、最初に訪れた
村の食堂で、「ドルで払えるかい?」と尋ねると、「大丈夫よ!」と返事が返
ってきました。

食堂のおばちゃん曰わく、「この村はホンジュラス領にあるけれども、村人は
みんなエル・サルバドル人よ」と。

はい、ここで、「サッカー戦争」の話です。

1969年6月27日、メキシコ・シティで行われたワールドカップメキシコ大会の予
選準決勝プレーオフで、ホンジュラスがエルサルバドルに負けたのをきっかけ
に、両国間で本物の戦争が勃発したという歴史があります。
詳しく知りたい方は、ネットで「サッカー戦争」を検索してみて下さい。

開戦のきっかけが、サッカーの試合だったために、「サッカー戦争」という馬
鹿げた名で呼ばれていますが、戦争になった本来の原因は、両国間の国境線地
帯で、不法入国や不法在留が後を絶たなかった事にあります。

この、辺鄙な国境の村で聞いたひと言、「私たちゃ、本当はエル・サルバドル人なんよ」
サッカー戦争の片鱗を見た気がしました...。

話、長...。


●中米一貧しい国? ニカラグア
さて、現在滞在中の国ニカラグアです。
ホンジュラスから国境を越えて、ビックリこきました。

道が、道が悪すぎる。

何ヵ所も未舗装なパートがあり、舗装されている所も、穴ぼこだらけです。
国境へと通じる道が、こんな事でいいんかい?と何度も思いました。

選択したルートが第一幹線でない事を、差し引いて考えたとしても、あれはひどすぎる。

国境付近に架けられた橋は、みんな日本の援助を受けて建設されたものでした
(どれも大袈裟にその事を宣伝されていました)。

ところが、マナグア湖の湖畔にあるこの国の首都「マナグア」から地方へと伸
びる幹線は、素晴らしくキレイです。
さらに、その途上では、拡張工事も行われていました。
一日に数えるほどしか車の通らない、辺鄙な国境の道路より、交通量の激しい
首都近辺の幹線の方が重要なのです。

「これが私たちの夢です」というキャッチフレーズと共に、街のあちこちに張
られたポスターには、ミシガン湖・湖畔のシカゴを彷彿させる高層ビル群のCG
が描かれていました。

ドレッドヘアーにサングラス、真っ白なランニングシャツといういでたちの若
いお兄ちゃんが、トヨタのランクル・プラドの最新モデルを運転してる姿を見
て、ふと、国境付近で見かけた、茶色く汚れてボロボロのランニングシャツを
着た少年の姿を想い出しました。

「一ドルおくれ!」
「水おくれ!」

中米各国はどの国も、その貧富の差の激しさと、貧困層が人口の大半を占める
というという点で、同じ問題をかかえていますが、ニカラグアのそれは、群を
抜いていると感じました。

僕は政治のことはよく分かりませんが、このように、貧困層を無視した発展を
促す行政は許されていいものでしょうか?

ふと、キューバのことを思い出しました。あの国が資本主義国になったら、ニ
カラグアみたいになるのかな?と。

僕は共産主義者ではありませんが、天の邪鬼な性格な持ち主なので、圧倒的少
数体制であるキューバの方を応援します。

そもそも、あの国には「タカリ」は居ても、「物乞い」はいませんでしたから。

ちなみに、ニカラグアを中米一貧しいとした理由は、GDP(購買力平価説)の順
位を見てのことです。
参考までに、以下に掲載しておきます。

世界第066位 グアテマラ
世界第082位 コスタ・リカ
世界第086位 エル・サルバドル
世界第106位 パナマ
世界第109位 ホンジュラス
世界第123位 ニカラグア
世界第165位 ベリーズ

うぅ、ベリーズの方が、下位でした。なんであんなに、物価高かったんでしょう?
さらに参考までに、
世界第085位 キューバ


●予定
まだ、ここニカラグアも半分残っていますが、中米も残すところ、コスタ・リ
カとパナマの二国となりました。
次回お会いするのは、パナマかコロンビアからになると思います。

それでは!


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ニューズレターVol.12 (2006.6.1)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.12 (2006.6.1)

まいどです。責自です。
ただ今、グアテマラの古都アンティグアに滞在中です。

グアテマラに入ってから、山道が多く、坂道上り疲れて腰がいたいです。

●ベリーズ
メキシコを出、つぎに入国したのはベリーズという中米では唯一、英語を公用
語にしている小国です。

もともとスペイン領であった中米の他の国々同様、本来グアテマラに置かれて
いたスペインの総督府の管轄領だったのですが、後から入植を始めた英国人た
ちが、定住の既成事実を作りあげ、のちに公式に英国領としたそうです。
その後、グアテマラがスペインから独立した折に、ベリーズは本来、グアテマ
ラ領であると主張、イギリスと領有権を巡って、争ったといいます。1981年に
ベリーズが英国より独立した後も、およそ10年、グアテマラから独立国として
認められるまで、何かと小競り合いが絶えなかったそうです。

ベリーズには英国領であったときに連れてこられた黒人系の人々が4割ほど、彼
らは基本的に英語しかしゃべりません。と、他の中米諸国同様メスティーソの
人たちが同じく4割ほど、彼らは英語とスペイン語の両方を喋ります。それに、
原住民であるマヤ族の人々が10%程度と、どこの資料を見ても同じように書いてあります。

彼ら以外に...、メキシコを離れる前に、「あそこには中国人が多い」と何度も
聞かされていました。実際の人口数は、恐らく微々たるものなんでしょうが、
街を走っていると、たしかに、小さな商店やスーパーにレストラン、農園の看
板などに、しょっちゅう中国人の名前を見かけます。数は少なくても、こうい
うふうに頻繁に目に留まると、多いと感じるのも無理無いのかも知れません。
華僑(華人)恐るべしです。

英語をここ1年以上まったく使っていなかったので、言われていることが、ある
程度理解できても、こちらからは簡単なフレーズすら、まるで出てこず、コミ
ュニケーションに苦労しました。スペイン語を話せる人も、かなり多いので、
それほど困りませんでしたが、短期間のうちにこれほど忘れてしまうものかと
考えると、南米を走り終えた後、スペインにたどり着くまでにスペイン語も忘
れてしまうのではと、ちょっと心配です。

ベリーズは中米では唯一、ビザを取得しなければ入国できない国です。一年前
の今頃、ここを訪れているはずだと、メキシコ・シティで取ったビザは、とっ
くに有効期限切れ、今回、新たに取りなおしたビザと合わせて、実に$100もの
大金を、この国を訪問するために注ぎこみました。
他にも物価が先進国並みに高いこともあり、旅行者間では、あまりいい評判は
ありません。

僕も長居は無用と、実質3日だけの滞在となりました。それでも、中日にはカリ
ブ沖合の島へと渡り、シュノーケリングなんぞ楽しんできました。
写真は、Webサイトの方で。



●グアテマラ入国
ベリーズ入国から3日目の夜、グアテマラとの国境の街に流れている川沿いでキ
ャンプし、翌朝早く、グアテマラへと国境をまたぎました。

メキシコ-ベリーズの国境で見かけたのは、ほとんどがツーリストで、入国管理
オフィスも何か整然としたものを感じたのですが、ここベリーズとグアテマラ
国境では一転、早朝から数多くのグアテマラ人でごった返す、殺伐とした空気
の中、入国手続きを済ませました。身の危険を感じたという意味ではありませ
ん(念のため)。
それよりも、メキシコ-ベリーズ国境の無味乾燥な雰囲気とは違い、「あぁ、ラ
テンの国に戻ってきたんだなぁ」と思えるような、なんというか、人間くささ
みたいなのがあり、逆にウキウキしていたぐらいです。

国境を越えた後は、再びマヤの遺跡などを見学しつつ、首都のグアテマラ・シ
ティを経由して、ここアンティグアへとやって来ました。首都もここも標高は
1500mほどで、その間には2000mほどの峠もあります。熱帯性気候なのですが、
標高があるため、朝晩は涼しくとても過ごしやすいです。
ひとつ問題は、雨期がはじまってしまったことで、ほぼ必ず、一日一回はザー
ッとバケツをひっくり返したような雨が降ります。大抵は夜中なので、走行に
支障が出たことは、ほとんどありませんでしたが。

グアテマラを走っていて、メキシコ入国前にメキシコに対して持っていたイ
メージを、ここで実感しました。貧富の差が激しく、大多数が貧困層に属する
のは目に見えて分かります(メキシコの実際は、イメージとは違ってました)。
彼らの必要とする規模のマーケットが存在していないので、メキシコのよう
に、アメリカの大手スーパーチェーン店などを見かけることもありません(マ
クドナルドはあります、数えるほどですが)。

同じラテンの国であっても、メキシコのように、友達感覚でハイテンションに
話しかけてくる人も、ほとんどいません。その辺は少し寂しい感じがします。

ここアンティグアは200年ほど昔、グアテマラの首都だったそうです。到着した
当日、街の入り口にあった政府管轄のツーリスト用の案内所に勤める、トニー
という男からそう聞きました。
彼はここで生まれ、ここで育った生粋のアンティグアテコ(アンティグア人)
です。彼がまだ幼かった時は、年中、僕のようなサイクリストがここを訪れて
くるのを、見かけたものだと語っていました(年間20組ほど見たとか)。
それが今は年に2~3人も来れば多い方だと言うのです。サイクリストの数が減
ったのか、ここを訪れるサイクリストが減ったのかは知りませんが...。

今は、日本人のご主人が経営する、ここアンティグアの安宿で、日本人に囲ま
れて、のんびり体を休めています。



●予定
ここから二日も走れば次の国、エル・サルバドルです。その先、ホンジュラ
ス、ニカラグアあたりまでは、ルート上にこれといった見どころも無いので、
一気に走ってしまおうかと考えています。
次回、どこから近況報告できるか分かりませんが、連絡が遅くなっても、どう
かご心配なきよう。

アディオス・アミーゴス


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ニューズレターVol.11 (2006.5.14)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.11 (2006.5.14)

まいど、責自@メキシコです。

とうとうメキシコの東の端までやって来ました。今は、インターネットを通し
て知り合ったホセ・ルイス君と、彼の家族の家でお世話になっています。

それにしても、アメリカからメキシコへと国境をまたいでから、なんと丸1年と
4ヵ月。まさか、ひとつの国にこんなに長い間、居続けることになるとは、夢に
も思いませんでした。


●最近不思議に思うこと
キューバ訪問以来、訪れるからには多少なりとも、その国のことを知っておか
ねばと、インターネットで各国の歴史や文化、経済などを調べるようになりました。

遅蒔きながら、メキシコについてもいろいろ調べたのですが、貧しいとばかり
思っていたメキシコも、実はGDP(国内総生産)では、世界代12位、北南米大陸で
はアメリカ、カナダ、ブラジルに次ぐ経済規模を持っています。しかも、カナ
ダ、ブラジル、メキシコの間にはそんなに差がありません。

石油もあるし、農水畜産業も豊かです。アメリカに比べれば、国土のわりには
人口は少なめですが、それでもほぼ日本と同じ数の人口数があります。

不思議に思うこととは、なぜメキシコにはテクノロジー産業や自動車産業が育
たなかったのか?ということです。

日本や韓国のような小国にはあって、資源の豊富そうなメキシコには、それら
がありません。その国土の広さゆえか、自動車への依存度が非常に高いにもか
かわらずです(ブラジルには確か自前の自動車メーカーがあったと思うのですが)。
車も電化製品も、ほぼすべてがヨーロッパ、アジアの海外メーカー製です。

実際、それらはすべて輸入されてきているのではなく、国内の工場で生産され
ているものも多いのですが、あくまで外国ブランド。メキシコ製ではあって
も、それらは日本車であり韓国車であり、ヨーロッパ車なのです。

日本人であることを告げると、電子機器類やバイク・自動車のクオリティの高
さを、いつも誉められるのですが、別に僕が作ってるわけじゃないので...。

メキシコでも、LGやSAMSUNG、HYUNDAIといった韓国製品は結構なシェアを持っ
てます。韓国といえば、日本よりもさらに小さいのになぁ...。

工業化が進んでるとはいえ、そのほとんどが外国資本じゃなぁ...。

中国にも海外資本の生産拠点は沢山あるけど、あそこは、自前のコンピュー
ターメーカー結構あるもんなぁ...。

ずいぶん長いこと生活してきたので、国にもちょっとした思い入れがわき、
メキシコ しっかりしてくれよ。
と、思ってしまうのです。



●ゴミの多さ
キューバのゴミの少なさを見て帰ってきてから、メキシコでのゴミのあまりの
多さにビックリしています。街から街へと何もない平原を走っていても、数
メートルと途切れることなくペットボトルが...。

ここメキシコのコーラを初めとする炭酸飲料の消費量は、すさまじいものがあ
ります。有名どころのコカ・コーラでは、一人あたりの年間消費量がアメリカ
よりも多いというデータも見かけました。

観光客が多い国なので、捨てているのが現地の人ばかりとは言えませんが、ゴ
ミに関するモラルが極端に低いと思います。

デポジットを上乗せして、回収率が高まるかと言えば、ちょっと難しいかな。
メキシコでは、10円安いからと言ってわざわざ遠くのスーパーに足を延ばすよ
うな人は、ほとんどいません。だから、5円戻ってくるからポイ捨てせずに家ま
で持ち帰ろうなんていう発想も、まず生まれて来ないんじゃないでしょうか。

キャップ裏のコード番号を利用した、販促キャンペーンはありますが、回収を
促すようなキャンペーンをするメーカーもありません。ポイ捨てされているこ
とを黙認し、売上ばかりを延ばそうとする企業の姿勢も批判されるべきだと思います。

温かい国だから、フリースにしても売れないでしょうし...;-)。どうしたもん
でしょうか。



●お知らせ
今お世話になってるホセ・ルイス君とは、インターネットを通じて知り合いま
した。サービスは出会い系サイトとして利用している人も多いのですが、もと
は旅行者間の新しい出会いを取り持つといった内容です。
個別に案内メール送りますので、興味のある方は、お試しください。

ホームページの「My Gadgets」のコーナーですが、メインの話題であるソー
ラー充電システムも壊れてしまいましたし、他にも長期休養中に見直した点が
いくつかあるので、一旦削除させていただきます。
また、他の観点から新コーナーを考えていますので、ご容赦の程。



次は、英語が公用語の小国ベリーズ。やっと中米突入です。

では、次回のニューズレターまで。


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