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ニューズレターVol.10 (2006.5.5)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.10 (2006.5.5)

どうも、こんにちわ。
日本はゴールデンウィークですね。メキシコでは聖週間が日本のGWにあたるよ
うで、この時期みんなマイカーで遠出をします。
「交通量が多くて危ないから、聖週間が終わってから出発しなさい」そう言わ
れて、ずるずると出発が延び、やっと旅再開できたのは、キューバから戻って
きてから、なんと27日後でした。
(本当は、別れが惜しくて、なかなか出発する決心がつかなかっただけなんですが)

キューバでの20日ほどの走行で、そこそこカンを取り戻していたと思っていた
のですが、最初の数日は、まったくダメでした。「こんなことで、アンデス越
えなんかできるんか、オレ?」と、いつものごとく情けない気持ちに...。やっ
ぱり、もう歳なので運動やめるとすぐに体力落ちてしまいます。

●オーディオ・システム故障
サリナ・クルスを出て4日目、太陽電池で充電中だった12vバッテリーが過充電
の状態になり、核融合を開始...(^_^)、ハンダも溶けだすほどに高熱を発し、
カメラバッグに穴を開け、一眼レフの樹脂ボディーを溶かし始めたところで、
事に気付き、あわててカバンから放りだしました。
マメに電圧チェックをしていなかった自分が悪いのですが、これでとうとうス
ピーカーで音楽聞けなくなってしまいました。もちろんGPSの外部電源も不可。
カメラのフラッシュも壊れてしまいました。
別に無くても困るものではないのですが、男っちゅうのは、自分の車のオーデ
ィオには凝るものなんです。地元人の評判も良かったですし。

●カカオの実はすっぱい
同じ日に、タバスコ州のコマルカルコという街に住んでいる、友人の家を訪ね
ました。彼とはサリナ・クルスの家族を通して知り合いになったのですが、仕
事が忙しく、僕に構ってられないというので、ひとり女友達を紹介してくれま
した。ちょうど地元ではお祭りの時期だったようで、彼女に連れられ、ロデオ
やミス・タバスコの船上パレードなどを楽しんできました。
カカオは、彼女の家の裏庭で栽培しているのですが、なんと年4回も収穫できる
そうです。実を割ると中には大粒の種子が、ヌルッとしたスポンジ状の線維に
包まれ、ぎっしり詰まっています。このスポンジ状の線維が甘酸っぱくて、結
構うまいんです。
この線維を洗い落とし、天日で干して、乾燥させたあと炒ったものが、チョコ
レートやココアの原料になります。ためしに生の種をかじってみましたが、ぜ
んぜんチョコレートの味しませんでした。
ところでカカオといえば、実はここ中南米が原産地なのをご存じですか。これ
が16世紀にヨーロッパに伝わり、さらに日本に伝わったのは19世紀後半のこと
です。メキシコのチョコレートは、すり潰したカカオの種子や砂糖のザラザラ
感が残っている上、脂肪分を加えないからか、普通のチョコレートとは違い、
なめらか感がありません。さらに、シナモンを加えるので独特の味がします
が、慣れるとこれはこれで結構美味いです。

●タバスコ州は石油王国
メキシコのガソリンスタンドといえば、ペメックスという名の石油公社、この
会社しかありません。国内では、このペメックスが、採掘から精製、運搬、販
売、さらに輸出までを一手に担っています。
タバスコ州は、北に広がるメキシコ湾に多くの海上プラントがあり、となりの
ベラクルス州とならんで、石油生産で栄えた州です。
マイカーの所持率が高く、他の州と比べてガソリンスタンドが多く、街そのも
のの発展も著しい、そんな印象を受けました。石油さまさまという感じです。
給料がよく、福利厚生・年金制度が充実しているので、この会社に入れば一生
安泰、そう考える若者も多いみたいです。

●英国人のビーチハウス
タバスコ州から隣りのカンペチェ州へと州をまたぐと、メキシコ湾を望む海岸
線の道に出ました。この道では、ずーっと遠浅のビーチを眺めながら走ってい
たのですが、海水浴できそうな所は、そうそう多くありません。海の家は見か
けますが、営業しているのかどうか?
もったいないなぁ、と思いながら走っていると、突然、映画に出てきそうな超
豪華なビーチハウスが数軒と、続いて高級レストランが出現しました。周りに
は、街はおろか人家すらない場所にです。外国人を乗せているらしき大型バス
も停まっています。
休憩に出てきた地元人のシェフ曰わく、オーナーは英国人で、家は月30万ほど
で外国人に貸すそうです。キューバやカンクンのビーチリゾートと同じで、こ
ういう施設はみんな外国資本で建てられていくのです。

●ユカタン半島にトウモロコシは育たない
カンペチェ州の州都カンペチェを通りすぎ、再び内陸へ。マヤの遺跡見学など
しながら、ユカタン州の州都メリダに到着。ここでは、首都メキシコ・シティ
でお世話になっていたセルヒオ氏の従兄弟フィリベルト氏宅に滞在中です。
氏の家族と一緒に、メーデーはビーチで過ごしました。海岸へと伸びる30kmほ
どの幹線道路の脇に、地元では有名なトウモロコシ粉製造メーカーのプラント
を見かけました。氏に尋ねると、工場はあるが、ユカタン半島は地盤が固く、
土壌が浅いのでトウモロコシは育たないんだ。会社は海路を使って原料を調達
し、トウモロコシ粉を生産しているんだよ。と教えてくれました。
半島は、メキシコの他の地域とはかなり違う文化を持っていたようで、中には
自分はメヒカーノ(メキシコ人)じゃない、ユカテコ(ユカタン人)だと、そ
んな頑固者もいたそうです。
トウモロコシだけでなく、自給できない数多くの物資はみんな、弓なりに湾曲
したメキシコ湾を経て、海路でここメリダへと入ってくるそうです。確かに地
図をみると、陸路よりも手っ取り早そうです。海岸線は遠浅のビーチが続くの
で、荷揚げは、陸からはその先が見えない、遙か沖合の橋の先で行われています。

●予定
メキシコも残すところ、一週間ほどとなりました。ここから半島の残りを回り
込むように次の国ベリーズへの国境を目指します。
その先、治安面では若干不安のある国々が続きますが、細心の注意を払って、
旅を続けますので、どうかご心配なきよう。

では

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ニューズレターVol.9 (2006.4.6)

Subject: Pedaling around the World Newsletter Vol.9 (2006.4.6)

みなさん、こんにちわ。
3月23日、無事にメキシコに戻ってきました。


今回は、キューバの現状、現地での出来事を徒然に報告させていただきます。


●時差2時間?
ガイドブックを見ても、インターネットで調べても、メキシコとの時差は1時
間。ところが実際には2時間の時差。どういう事かというと、2年前にサマータ
イムがスタートした後、元に戻ることなく、今まで来たとのこと。サマータイ
ムといえば、エネルギー資源を国家単位で節約できるという効果が望めるとい
いますが、キューバの場合は標準時そのものを変えてしまったようなもの。
「さすがは、社会主義国!」と感心してしました。
※今年2006年のサマータイム終了時期に合わせて元に戻すともいわれているそうです。


●二種類の通貨
キューバには兌換ペソ(以下、CUC)とペソクバーノ(以下、CUP)という2種類
の通貨があります。それぞれに紙幣と硬貨があるので、両方使う場合は、けっ
こう慣れが必要です。
CUCというのは、2004年11月に導入されたもので、導入当時1CUCはUS$1の価値が
ありましたが、今は米ドル価値の下落により、1CUC=90セント程度と、政府によ
ってレートを調整されています。通常、観光客はこのCUCを使用します。
CUPとは、現地キューバの人たちが使う通貨で、渡航時は1CUC=24CUPでした。こ
れも以前は、1CUC=27CUPからスタートしているので、政府によってレート調整
が行われているのは間違いなさそうです。
米ドル価値の下落に対してCUP価値の上昇を見ると、CUPの価値がじりじりと米
ドルの価値に近づいているという状況が見てとれます。


●ものを買う
これらの2種類の通貨は、一般的にCUCが観光客、CUPがキューバ人用と思われて
いますが、実際、キューバ人は日常的にCUCを使っています。どういうことかと
いうと、シャンプーやデオドラント、お洒落な服、輸入物の食品類、電化製品
などはすべて、CUCを使わなければ買うことができないからです。
なので、各街にはCUCとCUPの換金を行う両替コーナーが必ずあります。CUP価値
がじりじりと上がっているのをみると、政府に何やら思惑がありそうな、そん
な気がします。
逆に、この両替コーナーを使用することで、観光客がCUPを入手することも可能
で、このCUPを使えば先進国並みの物価で売られている食料に頼らずとも、彼ら
の給与水準に合わせた生活を味わうことができるというわけです。


●食事
もちろん、僕は渡航にかかった費用を取り戻すため、CUPメインで生活するべく
努力してきました。水は現地の人が常飲する井戸水を、食事は時折、道端に見
かける屋台や軒先の食堂が頼りです。一食20CUPも使えば、腹いっぱいに、
30CUP使えば、比較的豪華な内容の食事ができました。
ただ、現地の人は牛を屠殺することを禁じられているので、牛肉を使用した料
理をCUPで買うことはできません。食用牛は観光客用のレストランで使われるた
めに、飼育されているとのことです。
彼らの主食は、米とフリホレス(インゲンマメ)で、他にイモ類などの根菜を
多く食べます。これにわずかばかりの肉類もしくは魚や玉子などが添えられて
いれば、豪華な部類に入ります。


●配給?
どこの家庭にも小さなブックレットがあり、家族構成によって、月単位に配給
される米や豆、石鹸や歯磨き粉などの生活必需品の量が記載されています。実
際これらは、配給されているのではなく、決められた額を支払わなければいけ
ませんが、その額は彼らの給与水準から考えても、配給といえるほどに、安い
価格設定です。例えば約10kgの米は25円50銭程度。ちなみに、一般的な成人の
ひと月の賃金は1,340円ほど。
肉類は売られていませんが、現在は市場もありますし、馬車で野菜を売ってま
わる農家の人たちもいるので(合法的に)、配給分で足りなくても、市場で食
料を調達することは可能です。また鶏や豚、山羊などは食用を目的に各家庭で
飼育することが許可されています。


●運転マナー
彼らの運転はとても親切です。すれ違いの際に前に自転車や馬車がいれば、減
速して安全に追い越しができる状態になるまで、じっと待ってくれます。水溜
まりがあれば、相手が自転車であろうと歩行者であろうと減速して水が跳ねな
いように気を付けてくれます。このへんは、メキシコのそれと比較すると、ま
さに天と地の差です。
現地の人たちの使う車は革命前に持ち込まれた50年代のアメ車か、ソ連の援助
があったころにソ連経由で持ち込まれたものがほとんどで、新しい車の大半は
観光客用に用意されたレンタカーらしいです。


●道端のゴミが極端に少ない
アメリカもひどかったし、メキシコも結構ゴミはありましたが、ここは極端に
少ないです。
ゴミが出ないほど、ものが少ないことの現れです。道端のゴミ=観光客の捨て
たもの、とできるので、観光客の皆さんには、自覚ある行動をお願いしたいと
思いました。


●タカリ
前回も少し書きましたが、都会での観光客へのタカリは、かなりひどいです。
旅行者間でもかなり悪名高いです。
前回報告したとおり、サンティアゴ・デ・クーバで、田舎にある自宅に招待し
てくれたラジオ記者のオルランド氏ですが、3日目、市内に帰ってきたときに、
「娘の誕生日が近いので何か買ってやるのに少し援助してくれないか」とまた
してもタカリに逢ってしまいました。
彼の家で奥さんとその家族にとてもよくして貰った、そのいい思い出がすべて
水に流れてしまうほど、とてもガッカリしてしまい、二度と都市には近づかな
いと、再度硬く決心してしまいました。


●道
幹線はもちろんすべて舗装されていますが、路面の状態はいい所もあればかな
りひどい所もありました。
また、工事車両を一切見かけません。橋の落ちている所も、ハリケーンの影響
で分断された道路も、すべて放置されています。ソ連の援助があった頃に建設
されかけていたトンネルなども、すべて途中で放棄されていました。
また、標識が極端に少なく、GPSを空港で取り上げられてしまった僕は、たびた
び道を間違えて無駄にペダルを踏んでしまいました。情けない...。


●医療
話に聞いていたとおり、医療は無料で提供されています。それを身をもって体
験してきました。
つまり、病院の世話になってきました...。
衛生の悪い現地の食事と井戸水で生活してきたのが原因だったのか、キューバ
を離れる日まであと4日というところで、ひどい下痢と悪寒と熱でダウン。助け
を求めて訪ねに入った民家の人に、救急車を呼ばれてしまい、1日入院するハメ
になりました。それまでは何とも無かったのに...。
お尻に解熱のための注射を打たれ、夜通し生理食塩水の点滴を受けましたが、
たしかに料金は請求されませんでした。
薬だけは有料なのですが、5回分の経口抗生物質が日本円で1円50銭ほどと、彼
らの給与水準からしてもタダに近い値段でした。
こうやって、話の種にはなりましたが、メキシコでの入院事件の一件といい、
「こんなに弱い体で、俺この先、大丈夫か?」と、えらく情けない気持ちになりました。


●電化製品
どこの家庭に行っても、必ずテレビ・冷蔵庫、それに炊飯器・電気圧力釜があ
ります。これらもやはり政府から支給(実際には長期の割賦支払だが、その額
は微小)されたもので、すべて中国製。メーカー名も聞いたことのないものば
かりでした。
※冷蔵庫は、まだ交換が進んでいなかったので、数十年前のロシア、アメリカ
製などが多かったです。
僕のいた時期は、この電子調理器具がほぼ国中に行き渡り、テレビが白黒のも
のから、大型(21インチ程度)のカラーのものに交換されている最中でした。
よくこのテレビの段ボールを満載したトラックを見かけました。どこに行って
も、これから冷蔵庫を交換してくれるんだと、うれしそうに話していました。


●テレビ
国内には4つのチャンネルがあり、もちろんすべて国営放送。うち4チャンネル
とも観ることができるのは都市部のみで、大抵の地域は2チャンネルだけでし
た。ニュースでは、国際経済・社会動向とスポーツ、天気予報を扱い、他に
「ヒストリー・チャンネル」や「ディスカバリー・チャンネル」などのドキュ
メンタリー、外国産・国産のドラマ、野球中継、週末は映画放送(もちろんハ
リウッド映画が主)などが、主なプログラムです。
もちろんコマーシャルなどはなく、スポット的に革命の時の映像を使ったプロ
パガンダ放送や、「凧揚げは電線の無い所で」「ドラッグはあなたの人生を破
壊します」などの啓蒙放送が流れます。
突然、現れた外国人自転車旅行者の話などには、あまり興味がないようで、
日々のドラマ放送を見逃すまいと、夕食の後は、寝るまで家族揃ってテレビの
前にかじりつきます。


●主な輸入相手国
キューバの外貨獲得手段といえば、サトウキビを原料とする砂糖・ラム酒、葉
巻タバコ、コーヒー、鉱山物質、魚介類の輸出の他に、かなりの比率で観光業
に頼っています。
主な輸入相手国は、「スペイン、フランス、カナダ、イタリア、ベネズエラ
等」と外務省のホームページに記載がありますが、僕の聞いた話、見てきた状
況は少し違います。
彼らの主食である米とフリホレス(インゲンマメ)は、もうずっと以前より、
中国からの輸入に頼っており、配給される電化製品はすべて中国製です。ま
た、旅客用の鉄道も中国から到着したばかりでした。旅行者用に用意されてい
る比較的新しい年式のレンタカーも大半はヒュンダイ製です。
僕の目には、キューバが稼いだ外貨は、価格競争力のある中国製品などと引き
換えに、アジアへと還流しているように映りました。


●ロシア人ライダー
首都ハバナへの往路、一人のロシア人サイクリストと擦れ違いました。ロシア
人サイクリストは初めてです。それどころか、ロシア人のバックパッカーな
ど、いままで見たことがありません。
彼は国ではコンピュータ関連の仕事をしており、まぁ、そこそこ稼いでいるようでした。
キューバの印象を訪ねると、「解体前のソ連と一緒だ」と語っていました。今
はどうなのかと聞くと、「資本主義万歳!」
ひとつ驚かされたのは、彼らはアメリカやイギリスに旅行することは禁じられ
ているということです。
今すぐロシアを訪ねて行って、キューバとの違いを、この目で確かめたい。そ
んな衝動に駆られてしまいました。


●犬が吠えない、噛まない
メキシコと違って、犬がとてもおとなしいです。まず、野良犬がいません。そ
の上、飼われている犬もおとなしく、家の前を通っても、めったに吠えませ
ん。これがメキシコだと、猛然と吠えたて、彼らのテリトリーを出るまで追い
かけてきます。このことをメキシコの友人に話すと、「彼らの方が、人も犬も
行儀がいいのね」と冗談半分でいってましたが、「冗談ではなく、本当なので
は?」と思ってしまいました。


●心温かいキューバの人々
「道端でテントを張るのは危険だから、必ず民家に尋ねて、場所を借りなさ
い」といわれていたので、その通り実行し始めると、まれにベッドを用意して
くれたり、ほぼ100%の確率で夕食を、また行水するための水と場所を提供して
くれました。
途中で気付いたことなのですが、この国は比較的貧しい中南米の他の国々に比
べれば、はるかに安全です。観光業が国の主力産業なだけあって、訪れてきた
外国人が安全に旅行を楽しめるように、国民への教育は徹底されています。
腹をこわして助けを求めて訪ねて入った家では、「あなたに何かあったら、私
たちが逮捕されるの」と僕に語っていましたし、これと同じ話は、何度か耳にしました。
そのことを考えると、野宿の危険性もはるかに小さいのでは、と推察できま
す。ところが、食事はともかく、毎日、体の汚れを落とせることを一度体験し
てしまうと、それを我慢してまで野宿することが出来なくなってしまいます。
「なんて甘ちゃんなんだ俺は」と情けなく思っても、やっぱり行水の誘惑には
勝てません。
では、せめて食事だけでも自分で用意していこうと、パンなどを袋に詰めて持
っていっても、「それは明日においておいて、温かいご飯をどうぞ」と用意さ
れてしまうのです。
「なんて温かい心の持ち主なんだ、この人達は」
結局、入院した一夜を除き、往路もすべて民家でお世話になりました。
朝、出発するときに必ずいわれるのは、「また来てね」のひと言。はっきりい
って、また訪ねてくる可能性は、ほとんど無いと思う。それでも、「はい、か
ならず」といつも返事していました。
「こんなに、いい思い出ができて、無事にツーリングを終えることができたの
は、すべて彼らのおかげだ」と思っています。でも、僕からは何もお返しする
ことができませんでした。今できることは、無事にメキシコに戻ってきたこと
を告げる手紙と共に、彼らと撮った写真を送ってあげることぐらいだと思っています。


●最後に
キューバで、俗にいう観光地を訪ねようと思ったら、自然と金が出ていきま
す。これはキューバの観光産業のシステムがよく出来ていることの証明なので
すが、今回の僕は、それらの場所を訪れないように走ってきました。だから、
「観光してきたのか」と聞かれれば、「………」返事を濁さなければなりません。
でも、彼らの生活や、社会の一端に触れることが出来て、とても充実した訪問
だったと感じています。
キューバは一般的な社会主義国のイメージとは、まるで違う国でした。
まず、飢えに苦しんでいる人がいません。また、無償で提供されている医療・
教育・福祉サービスも立派に機能しているようでした。経済的にドラッグや兵
器産業に頼るということもなく、テロ活動には国を挙げて反対する姿勢をとっています。
都市部に住む人、一部の人々は、資本主義・自由主義社会の一見豊かに見える
生活にあこがれ、愚痴をこぼしたり、反政府的な考えを持つ人がいますが、国
民の大半は自らの国のシステムを誇りに思い、指導者を尊敬し、国を愛してい
ます。物質的な生活の質という面では、たしかに貧しいといえるかもしれませ
んが、その彼らの生き様はとても豊かなものです。
モノが溢れかえって、何でもある物質主義の国、日本からやって来た僕が、こ
の国で生活できるかといえば、きっと無理だと思います。しかし、モノはなく
とも心豊かに生きている彼らの生活スタイルを、羨ましくも思いました。
彼らも他の社会主義国のように、米ソの影響を大きく受けてきた歴史を持って
います。これからの時代、彼らの社会システムの在り方を「悪」と決めつけ、
おせっかい焼きをするのではなく、温かく見守ってやって欲しい、そう思いました。


●今後の予定
今は、キューバでお世話になった人たちへの手紙書き、メールの返信、Webの更
新作業、自転車の整備とやることに追われて、忙しくしていますが、10日ほど
ここで休養を取ったら、メキシコ国内もまだ、3分の1ほど残っていますし、せ
っかく取り戻したコンディションをまた失ってしまわないうちに、南米を目指
して再出発しようと思っています。


それでは、次のニューズ・レターまで、アディオス・アミーゴス!


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ニューズレターVol.8 (2006.3.10)

Subject: Pedaling around the World Newsletter No.8 (2006.3.10)

どうも皆さん、大変ご無沙汰しております。
旅、やっとこさ再開しました。 今はキューバに滞在中です。
この国のインターネット事情は、ひどいもんで、28kbpsモデム程のスピードに
も関わらず、1時間あたり800円近い料金を請求してきます。
しかも、使えるところは、ごく一部の場所に限られてます。
日本語も打てないので、今回はwebページで配信という形を取らせて頂きました。


2/24お世話になっているファミリーの家に荷物を半分残し、バスに揺られて24
時間、キューバの首都ハバナへの航路がある街、ユカタン半島のカンクンへと
やって来ました。
この日の夜、その足でキューバへと発つはずでしたが、いつもの余裕のない行
動習性がたたり、出国ゲートで、
「工具類は預け荷物じゃないとダメだ」
「もうチェックインカウンターは閉まってるから、空港に預けて行くしか方法はない」
と、既に飛行機に載ってしまっている自転車か、手元の工具か選択を迫られる事態に。
結局、自転車を飛行機から降ろしてもらい、フライトを翌日に変更して、どう
にか事なきを得たのですが、常に頭はパニック状態、あっちへこっちへ走り回
り、心身ともに、へとへとに疲れました。


そして、今度は翌25日、キューバはハバナの空港で長時間の入国審査を受けるハメに。
2台あったラップトップ(本当は一台はパソコンじゃないんですが)や、2台
のカメラ、それにGPSが審査官に不審を抱かせたらしく、長々と同じ質問を何度
も繰り返され、レポートを取られ、もちろんGPSは空港で保管(国家の機密に関
わる重要な情報を、持ち出せるから…、何ですね、多分)ということになり、
その書類を作ったりするなど、空港を出るまで実に3時間もかかってしまいました。


やっと解放されたのは、なんと真夜中の2時。本当はそのまま空港で夜が明け
るのを待つつもりだったんですが、そんなことをして、また不審を買ってはい
かんと、仕方なくタクシーで市内へと移動。
キューバでは旅行者の宿泊先としてもっともポピュラーな場所、「個人宅で間
借り」にこれまた仕方なく転がり込みました。


翌日、翌々日と、キューバの後、訪れたかった国々(ジャマイカやドミニカ共
和国など)へのチケットを探してまわったのですが、結論から言うと、キュー
バを拠点とする限り、現実的に不可能に近いということが分かり、今回は諦めることに。


翌2/27、実に315日ぶりにペダルを踏み出しました。
首都ハバナから、ここサンティアゴ・デ・クーバまで、およそ1000kmを9泊10日で移動。
そして、この9泊はすべて、現地の農家でお世話になりました。
毎日行水し、8晩は夕食までごちそうになり、3晩はベッドで寝かせてくれまし
た。残りの6泊はテントです。


田舎に住んでいるキューバ人は信じられないほど、親切です。ところが、それ
に反比例するように、都市に住む人々は異常なまでに観光客ズレしています。
今のキューバは昔のように、所得が均一ではなく、能力差や職業の差で稼ぎが
違います。だから、当然、貧富の差もあります。といっても、月の稼ぎが10ド
ルから40ドルですから、せいぜい4倍程度の差なんですが。


普通に働いていては、どんなプロフェッショナルでもこの月給の枠は超えられ
ませんが、観光客を相手にすれば、そんなのは朝飯前です。
日本やアメリカ、ヨーロッパと同じ物価水準で、ものを売りつけに来たり、詐
欺をはたらこうとしたり、付きまとっては、食事をたかろうとしたりと、常に
カモになる旅行者探しに余念がありません。


旅行者が持ち込むこれらの外貨が、すべて一度、国に収められる仕組みになっ
ていれば良いんですが、実際のところは、このように、直接、自分だけがいい
思いをしてやろうという輩で溢れかえっているというのが、キューバの都市の印象です。
ある日、お世話になった家の若旦那が言っていました。
「われわれの国は社会主義国家だが、われわれ国民すべてが社会主義者という
わけじゃない」


現在、滞在中のサンティアゴ・デ・クーバで、2日休養を取り、再び首都ハバ
ナを目指して、自転車にまたがるつもりをしていたのですが、ここで出会った
ラジオのスポーツ枠担当の記者オルランド氏に、ここから50kmほど山奥にある
彼の家に招待されたので、滞在が一日延び、その時間を使って、ニューズレ
ターを書いているというわけです。
まさかキューバから、こんなふうにWebを更新することになるとは思いもしませんでした。


ここ、キューバという国は、その社会主義国家という特異性から、驚かされる
ことばかりで、毎日退屈しません。
それらは、次回、ご紹介できたらと思います。


それでは、この辺で。



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ニューズレターVol.7(2005.4.13)

Subject: ぺだりんぐ・あらうんど・ざ・わーるど ニューズレターNo.7(2005.4.13)

今回は重大発表があります。

●ほとんど生活モード
一ヶ月間の長期滞在をしたメキシコ・シティから
四日の走行で、一週間オフ。そこから、
二日の走行で、また一週間のオフ。
三日走って四日オフ。
走っている時間より、止まっている時間の方が長くなってきました。

前回、一週間の休みを取ったオアハカ州の州都オアハカから、
次の一週間オフを取った太平洋岸沿いの町サリナ・クルスまでは
約300km。
これを二日で走りました。

オアハカが標高1500mで、サリナ・クルスがゼロ海抜なので、
「平均すれば下りのはず」
と、シャワーとベッドを思い浮かべながら、つい無理をしてしまい、
日没後2時間超の夜間走行。

実際にはアップダウンの繰り返しで、
とうとう最後には、ヘロヘロになりながら押し歩き。
町の手前3kmほどで、親切なオッチャンが、ピックアップで町の中心まで運んでくれました。

何もなかったからいいものの、フォークに爆弾かかえての夜間走行は、
我ながら「さすがに馬鹿なことしたな」というところです。



●熱と腹痛で死ぬ思い・31歳の誕生日・そしてフィンランド人サイクリストとの合流
サリナ・クルスでお世話になったファミリーは、
メキシコ・シティでお世話になっていたセルヒオ氏の紹介です。

ここのファミリーは、ケーキ屋を6店舗持っており、
自宅の敷地で毎日100~1000個ものケーキを焼いたりなどしてます。
従業員も何人かおり、出国直前まで働いていたパン工場を想い出させてくれました。

町に着いたのは閉店時間ギリギリ。
従業員さんが不審な目付きで僕を見ながらも、
オーナーであるルエダ・モラレス氏宅に連絡を入れてくれ、すぐ迎えに来てくれました。

滞在中は、車で近場をあちこち紹介してくれ、
また、ほとんど一日中、話をしてました。
日本の文化や食べ物など、日本にとても関心があるようで、たくさん質問を受けました。

町の中華料理店に食事に行ったときのこと。
店に置いてあった布袋さんを仏さんと勘違いしていたのには、ちょっと苦笑いしてしまいました。

そうこうしているうちに滞在三日目、どうも食欲がなく気怠い感じ。
気候が変わったからだろうなと考えていたんですが...

夕方隣町の屋台へとこの地方の伝統料理を食べに連れていって貰ったところ、
どうしても食べれません。
なぜって、食欲無い上に、すべて脂でギトギトだからです。

そして、家に帰ってきた頃には、首筋や広背筋に言い表せないだるさを感じ。
熱を計ると「40度弱の高熱」。
まっさきにA型肝炎が頭に浮かびました。

でも黄疸もないし目も黄色くない、大便も小便も普段と変わらない色。
一晩様子を見てからで良いというのに、知り合いの医者のところへと即連れていかれました。

そこで医者には、肝炎じゃないし、ここにはマラリアは無いと言われました。
そして、デング熱はあるが、それとも違うだろうと...。
結局、解熱鎮痛剤だけ処方して貰い帰宅。

翌朝起きてみると、熱は下がったものの相変わらず全身の倦怠感は取れず、
今度は胃がムカムカと痛み出しました。

で、またまた別の医者へ。
レントゲン室に入ったことと、超音波検査をされたことだけ覚えてますが、あまりの苦しさに、
残りは完全に意識を失ってて、
何があったのか分からぬうちに帰宅。

30時間以上眠り続け、さらに翌朝、どうにか回復できました。

その間、おっかさんが、6時間だか8時間おきに薬を飲ませに来てくれました。
あとで話を聞くと、医者は胃炎だと判断したとのことです。

死ぬほど苦しんで、とても皆を心配させ、あんなに世話焼いて貰ったのに、
ただの胃炎? 何と人騒がせな...。

「先が長いので二日ほどお世話になったら出ていきます」と言ったのに、
この胃炎?事件のこともあり結局一週間滞在。

そうこうしているうちに、31歳の誕生日を迎えました。

もともと日本にいるときから、祝い事には全く関心のない性格だったのですが、
これがメキシコ流だよ。と、
似顔絵付きのケーキを焼いてくれ、派手なパーティーを開いてくれました。
(写真:photogallery→Mexico)

そして、以前から連絡を取り続けていたフィンランド人のサイクリスト、タネリ君と無事合流。
http://www.bikehike.info/

出発日前夜は、町のレストランでお別れパーティーまで開いてくれました。
「世界一周が終わったら、きっと戻っておいでね」
と何度も言われ、返答に困った僕は、冗談でかわしていたのですが、

ついには本気で約束させられました。



●涙の別れと新しい出会い
翌朝、家族総出で僕らを見送ってくれた彼らの涙を見て、
僕もつい目頭が熱くなりました。

その日は走りながら、この一週間のできごとを想い出すたびに、
涙がボロボロこぼれてくるのです。

そして、楽しみにしていたタネリ君とのペアランは、
実際にはかなり苦痛でした。

21歳の彼とは体力的にも差がある上、荷物量にも相当な差があるので、
とても一緒には走れません。

彼はペアランの経験どころか、ツーリングそのものの経験すら浅く、
また、旅のスタイルがあまりに僕と違いすぎるのです
(自炊・野宿優先の僕に対して、外食・ホテル優先の彼、など...)。

この初日の無理が、後々深刻なダメージを僕の体に残しました。

しかし、この日は新たな出会いがありました。
南下していく三人のサイクリストと合流したのです。
(写真:photogallery→Friends, Amigos)

三人はいずれも30代。一人がアイルランド人で、残りの二人はオーストラリア人。
同じ世代であったことと、懐かしいイントネーションを聴いて、つい興奮してしまいました。

この日は五人でホテルを一部屋取り、夜中遅くまで語り明かしました。
なぜって、彼らは別ルートを取るので、翌朝には別れるからです。



●決心
翌日、三人と別れてからの僕らのルートは山道です。
実際にはたいしたことない山道のハズなのに、前日の無理がたたって全く足が動きません。
それでも、体力をすべて使い果たすまで走り続けました。

そして走りながら、ある決心をしたのです。

サリナ・クルスのファミリーのところに戻って、スペイン語の勉強をしよう。
ツーリングは来シーズンまで休業しよう。

決心に至った経緯はいろいろです。

六年前のオーストラリア一周ツーリングは、走ってばかりでした。
だから今回はもっとゆっくり、現地に溶け込みながら旅したいと思っていました。

ところが、出発地のカナダといい、アメリカ中西部といい、すべてシーズン遅れ。
その遅れを取り戻そうと、メキシコ・シティまで結局走り続けの毎日でした。

そして、シティでの長期滞在が祟り、このまま走ると、この先また走り続けの毎日になります。

「世界一周が終わったら戻っておいで」も、今なら実行できます。

前日に会った三人のうちの二人が、五年掛けて中南米をツーリングするという話を聴いたことも、
そして、今一緒のタネリ君とのペアランに疲れたのも理由の一端でしょう。

よく考えてみれば、急ぐ必要は何もありません。
今の僕にとって得難いものは、時間ではなく、彼らのような友人だと気付いたのです。

その晩、さっそく電話でこのアイデアを伝えると、
彼らもとても喜んでくれました。



●再会
翌日も走り出しからヘロヘロでした。
まったくリキ入りません。

この日は珍しくタネリ君と別走行。
彼が先行し、僕が数キロ後をトロトロと走っていると、
見覚えのある一台のピックアップトラックが目の前で停止。

サリナ・クルスの彼らが電話の話を聞いて、
早速、300kmの距離を追いかけてきてくれたのです。

ヘトヘトに疲れていた僕は、彼らと抱き合って、
思わず泣いてしまいました。
そこから20kmほど、荷物無しで走行。チアパス州の州都トゥクストラに到着。

彼らとしては、そのまま一緒に戻って欲しいところだったみたいですが、
僕としては、タネリ君との約束もあるので、
国境までは、このまま一緒にツーリングを続けるつもりだと伝えると、
当面必要のない荷物をすべて預かってくれました。

トゥクストラではツーリストカード(ビザのようなもの)の延長手続きが必要だったのですが、
役所仕事のあまりの遅さと、週末を挟んだこともあり、
手続きを済ませる為だけに五泊もしてしまいました。



●民族衣装が印象的なインディヘナたち
旅行者間で有名なサンクリストバル・デ・ラス・カサスへとやって来ました。
州都トゥクストラから80kmほどの距離ですが、ここは標高2000メートル超の山中にあります。

途中40kmほどの間に、
2000mの上りがあり(平均5%)、
荷物料を半分以下に減らしていなければ、
また死ぬ想いをしたに違いありません。

道中に何度も見かけた小さなコミュニティには、
民族衣装がとても印象的なインディヘナの女性達が沢山いました。
僕らと同じルーツを持つ、彼らの顔つきは、どことなく日本人と似ていて、
それに美人も結構多いのです。

ところが、写真を撮らせてくれとお願いしても、
必ず断られます。

彼らは、写真を撮られると、魂を抜かれると信じているそうで、
折角いい写真が撮れそうなのに、とても残念です。

ここ、サンクリストバルはとても風情のある良い街だと前評判を聞いて来たのですが、
思いの外、けっこうな都会で、少々残念な思いをしました。

いつも思うのですが、他人の主観を元に過度な期待をすると、
大抵ガッカリする羽目になります。



ということで、このまま10日間ほどタネリ君とツーリングを続けます。
彼とは国境で別れ、その後サリナ・クルスに戻って八ヶ月間程度、勉強に集中するつもりです。


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ニューズレターVol.6(2005.3.24)

Subject: ぺだりんぐ・あらうんど・ざ・わーるど ニューズレターNo.6(2005.3.24)

ただ今オアハカ州、オアハカに滞在中
さすがに一カ月も自転車に乗ってなかったので、ここまでの四日間、えらい疲れまし
た。足ガクガクです。

●700cのタイヤとメキシコの自転車

アメリカを出る前にはめ直したタイヤがかなりチビっていたので、シティ長期滞在中
に前後とも交換しました。
アメリカで最後に購入しておいたスペアタイヤが全部で五本あったのですが、せっか
く首都に居るんだから、スペアは置いといて、現地調達してやろうと東奔西走しました。

しかし、まったくありません。

700cのタイヤでも、太さが23cとか25cの細いロードレーサー用はあります。
僕の場合はできれば30c以上は欲しいところです。

で、世話になってたファミリーが住んでる郊外にあるショップに連れていって貰った
ところ、なんとありました。これもいくつか周りましたが、あったのは一店だけです。

値段はなんと一本300円...。

あまりの安さにリアだけ交換するつもりが、ついでにフロントも。さらに数日後、も
う一度行き、スペア用に一本購入しました。ちなみにアメリカで買ったタイヤは一本
2700円×四本と3500円×一本です。
そんなわけで、現在スペアタイヤ六本です。

これと同じ理由で、前回探して周った後輪用のリムも、基本的に細いもので、穴数が
少ないもの(せいぜい32H)しかありませんでした。
現在は、どうにか見つけた36Hのこの細いリムを代用してます。

とにかく、選んだバイクは、素材の面でもパーツの普及性の面でも完全に間違いだっ
たということです。

ちなみにフォークを手配できた店も郊外です。
ここは店というより民家のガレージでした。民家といっても高級住宅街です。
この住宅街に進入していくストリートにはすべてゲートがあり、住民でない人間が中
に入るときは、ゲートで身分証明書を預け、通行許可証をフロントガラスに貼り付け
なけないと通してくれません。中流以下の住宅街とは雲泥の差です。

大衆向けの店に置いてある自転車は、前後ともサスペンションが付いてるMTB(MTB風
自転車)で五千円~。パーツはもちろんシマノじゃありません。

シマノのカタログに載っているコンポーネント類で組んだ完成車の値段は、日本やア
メリカと大差ありません。
だもんで、たまに大衆店のくせに、一、二台だけこういう高級バイクを置いていたり
すると、十年ほど前のモデルだったりします。しかも値段は現行品と同等。

一体誰が買うのか?

逆に、大衆車は扱わず、いわゆる高級バイクばかりを扱っている店というのは、全体
の数%に満たないようです。

こんな状況の中なので、僕の自転車に合うパーツを探すのは至難の技ということです。

前回、自分で組み直したリア・ホイールですが、実は左右のスポーク長が違うという
ことを知らずに、アベコベに組んでしまっていました。
工房赤松の主人から指摘されて気付いたのですが、ここでもう一回組み直さにゃなり
ませんでした。
まったく無知とは恐ろしいものです。でもおかげでホイール組みの自信がついた?



●標高3000m越えと、標高差1000mの上り

危険なシティの交通量を避ける為に、イクソ君のおじさんがシティの外、高速道の料
金所手前まで車で送ってくれました。
マイクロ・バスにぶつけてフォークを曲げた地点よりさらに30kmほど先です。

しかし、ここから本格的な上りが...。

2300m付近から3100m程まで上らにゃなりませんでした。
がしかし、さすがに首都から出ていくメインの高速道なだけあって、道のつけ方が素
晴らしい。それほど派手に上っている感覚もなく、さくっと峠までたどり着けました。
雪が見れるという情報に半信半疑でしたが、遠く山の頂上を見上げると、確かに
「雪」ありました。まったく標高だけはあなどれません。

翌日、メキシコ湾沿いの平原へと向かう道と、さらに山中を行く道への分岐点。
ここオアハカに住んでいる、ヒョルヒーナ夫人(イクソ君のおっかさん)の兄弟宅を
紹介されていたので、当然山中へと続く道を選びます。ここで、殺されました。

一旦、標高1000mへと下った後、再び2200mまで、下り・フラット一切無しの上り続き。

カンカン照りの陽射しの中、シティで荷物を増やしてさらに重くなった僕の自転車
に、この上りは辛すぎました。
あまりの辛さで意識が朦朧とし、たまらず昼寝しました。



●シティの北と南の違い

いままでガソリンスタンドや料金所近くで快適にキャンプできていたのが、シティの
南からいきなり状況が変わりました。

まずガソリンスタンドにトイレがありません。スタンドの隣りにあるレストランの中
にトイレがあり、そこで用を足さねばなりません。しかも一切紙を置いてません。入
り口で50cm足らずを2~30円ほどで売ってます。

シティ脱出初日は、このガソリンスタンドの隣りで建設中のレストランの屋根を借り
て雨をしのぎキャンプできました。

翌日は山間部にある小さな村の住人から土地を借りてキャンプ。
飲料水を頼むと、1.5リットルが70円で、10リットルが150円だと言うので、もちろん
10リットルを。飲料水で体拭いてしまいました...。しかも使い切れずに1リットルほ
ど置き去りに...。

そんな状況も、ここオアハカ州に入ってから、突然改善されます。
いままでの公衆トイレは、明らかに有料か、もしくは、いかにも金払えと言わんばか
りに入り口にオッサンが腰を据えていたのですが、オアハカ到着前夜にキャンプを張
った料金所のトイレは、このオッサンが常に掃除しまくっていました。

だから、とっても綺麗です。紙もちゃんと置いてます。

何もせずに入り口で金をせびるだけのオッサンには、ビタ一文払ったことありません
でしたが、ここでは何故か自然とチップ渡してしまいました。

トイレで紙を使わない国もあるんだから、本当はこんなことで贅沢いってる場合じゃ
無いんですが...。



●助けて貰うだけじゃないんだよ

いつも助けて貰ってばかりの僕ですが、ここまでの四日間の間に三回も人助けしてし
まいました。

最初は、エンジントラブルで路肩に停まっていた車の運転手に水をねだられ、ボトル
を一本。
次は、ガス欠で立ち往生しているジープの運転手に頼まれ、次の町の自動車工場まで
メッセージを届けに。
最後は、歩きで移動している人に、こっちから進んでボトルを一本。

高速道を走っていると、たまに歩きで旅してる(?)人たちの集団に出くわします。
全く荷物を持っていないので、サポートカーがいるのは間違いないのですが、このオ
ッチャンは一人で、しかも寝袋持ってたので、きっとサポートいないんだろうなと思
って、「水いりますか?」と声掛けてみました。

障害者だったようで、ちゃんとしゃべれません。足も悪く杖ついてました。

僕はどちらかというと身勝手な人間で、こういう人助けとは程遠いキャラクターなん
ですが、この五ヶ月の間に出会った人たちに感化されたみたいです。
助けて貰った分をお返しできた気がして、ちょっとうれしくなりました。



●時代も変わったもんです

曲がったフォークを探して、Googleってる時に、偶然、同日シティを出発して南下し
ていった日本人サイクリストのサイトを見つけました。メッセージ送ってみました
が、今のところ返事ありません。
僕がシティで足止めくらってる間に、先に進まれてしまいましたが、この先できっと
会うでしょう。

そして、ここオアハカでメールチェックしたら、全く知らないフィンランド人からペ
アランの申し出が...。
どういう経緯かは分かりませんが、バハで一緒だったDylanとCheriから僕のメール・
アドレス聞いたらしいです。
彼とはここ数日、予定の摺り合わせで毎日メール遣り取りしてます。ちなみにDylanと
Cheriはもうグアテマラに入ってます。

この二人以外にも、ボリビア滞在中の日本人サイクリスト、現在ベリーズ付近を移動
中の日本人サイクリスト、バハで会ったスイス人サイクリストともメールで遣り取り
してます。もちろんDylanとCheriも。

同じ時間に同じ場所を同じ手段で旅をしている彼らがいるというだけで嬉しくなって
くるんですが、そんな彼らとこんなに簡単にコミュニケーション取れる。
まったく時代も変わったもんです。



お世話になってるRuiz Islas家のイサク君に付き添われて、ここOaxacaの観光名物、
遺跡見学も済ませました。
でも、メキシコもまだ先が長いので、ここでゆっくりするわけにもいかず、明日明後
日には出発です。
まだしばらく山道が続くことを考えると、気が重い...。


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ニューズレターVol.5(2005.3.15)

Subject: ぺだりんぐ・あらうんど・ざ・わーるど ニューズレターNo.5(2005.3.15)

凶!!!
そろそろ出発だと宣言した2/25から、実際の出発まで何と11日間。まぁ、いろいろや
ることあったんですが、後半は風邪をひいてしまい、合計3週間以上もイクソ君の家に
お世話になってしまいました。

そして出発した3/8、メキシコ・シティから郊外に逃れ、高速道の路肩の上を向かい風
と登り坂と戦いながら? というより伏し目がちに走っていると...

「ドンッ!」何かに衝突。

前を見ると、いつものマイクロ・バス。ぶつかられたヤツは何事もなげに去っていき
ましたが、ぶつかった僕の方は...

「なんじゃ、こりゃー!! フロント・フォークが曲がっちまってるぞ!」

時速10kmほどかという超スローなスピードだったのに、タイヤがダウンチューブ(フ
レームのハンドル部からペダル付け根の部分)すれすれのところまで曲がっているじ
ゃないですか。

しばらくその場に立ち尽くし、唖然としつつも頭の中ではいろいろ打算。

「状況はまだマシ!」「ここは首都、何とかなる!」と、

次の衝撃で完全にタイヤがフレームに接触してしまったら走行不能になるので、段差
や急ブレーキに注意しながら、来た道を40km引き返しました(皮肉にも往路は追い風
でラクチン)。

そしてイクソ君の家まであと数キロのところ...。

道は左にカーブしていますが、直進していく測道もあります。
左へと曲がっていくバスの横にくっついて左カーブしていくと、荷物満載でバスより
も遅い僕の自転車がバスの後部から姿を現したその瞬間、バスの後ろすれすれをすり
抜けようとしたんでしょう、猛スピードで直進してきたバイクに後輪を引っかけられ
てしまいました。

バランスを崩して軽く転倒、で、自転車を見ると...

「リア・ホイールぐにゃぁ~」

な、何も言えん...。

状況はまさに踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目ですが、正直ショッ
クも何もありませんでした。

呆然と立ち尽くす僕に、「トルタいらない?」と露天のガキが...。

「うるせぇ、どっか行け!」

近くの公衆電話からイクソ君に電話、彼のおじさんが車で迎えに来てくれ、今はその
おじさんの家にお世話になってます(走行距離は70km超なのに、実質移動距離2km...)。

ケガはなかったし、周りには助けてくれる人たちが大勢いる状況です。もっと悪い状
況にもなり得たことを思うと、幸運だったと思わなければいけないんでしょう。

それにしても、メキシコの滞在期限はひと月先に迫ってるし、50ドルも出して取得し
た次の国ベリーズのビザにも期限があります。
いったい、どないせぇっちゅんじゃ!



その後のフォーク
まず、お世話になっている日本のフレームビルダーの工房と、長年来の付き合いのカ
ナダの友人、それにキャノンデールUSAに状況説明と対策についてメールしました。

結果、フォークはどうやら台湾製の規格品(標準デザイン)のものらしく比較的楽に
手に入りそうとの情報が、三方からほぼ同時に...。思わず笑みがこぼれました。

がしかし、その翌日ダウンタウンの自転車屋街を数十店、イクソ君のおやじさんに連
れられ尋ね歩きましたが、やっぱりフォークありませんでした。

なんぼ標準品でも、そもそも自転車でツーリングという発想のないこの国に、ツーリ
ング用の標準フォークなど無いのです。しかもどこに聞いても取り寄せすらできない
と言うではないですか。

どうやら、アメリカなり日本なりから自分で取り寄せなきゃならんようだ。と、再び
ネット屋へ。

で、アメリカ産と思われるツーリング用フォークを発見。メーカーにメールで問い合
わせ、メーカー→卸売り店→メキシコの販売店のルートを突き止め、確認すると「二
週間かかります!」

「まぁ、そんなもんか」と二週間待つ覚悟でいると、またまた世話焼きのおやじさん
が、えらいところへと連れていってくれました。

その昔フレームビルダーだったという町工場です。日本でお世話になっている工房で
見せて貰ったのと同じ形をした専用ツールが、そこには確かに揃っていました。が、
「一体いつまでやってたの?」というぐらい錆び錆びの埃だらけ。

そして、昔はブイブイいわしたんだろうけど、今となってはまるで手つきのおぼつか
ないジッサマが、なんとテコの原理と充て木と巨大ハンマーで曲がったフォークを真
っ直ぐに...。

「マジ? それでいいの?」

しかもその後、ブレーキやキャリアを元通り装着するのに、ボルトやナットの順番は
アベコベ。一部部品は付け忘れる。違うと言っても耳を貸さない。

でも、しばらく格闘してどうしてもうまくはまらないと、

「んじゃ、やってみろ」

結局最後は自分で作業しました。作業後は在りし日のジサマの栄光まで聞かされました。

「これがワシの作ったフレームじゃ!」

強度が最重要な僕にとっては、やはり新品に交換することが第一案になるのですが、
「壊れたら、買い換える」我々と違い、「壊れたら、直す」彼らの姿勢は見習わなけ
ればならないところです。
貧しい国だから、ゴミにするようなことはありません。とにかく何でも直します。だ
からなのか、町で一番沢山見かける車は、VWビートル(もちろん古い方)。

ニュー・フォークをメキシコ出国直前の都市で入手できる算段をつけたので、この直
したフォークでしばらく走ります(グアテマラ辺りで交換予定)。



後輪はどうなった?
これもなかなかというより、結局必要なものは手に入らず、代用品で妥協しました。

しかも、専用ツール(振れ取り台やセンターゲージ)でしっかり組んでくれるもの
と、ホイール組み替えも依頼しましたが、なんと販売用のフレームにホイールを固
定、作業しやがりました。

しかもバルブ穴の真上でスポークを交差させるという、まるで素人作業(空気入れが
使えません)。
結局家に帰ってから自分で組み直しました(初体験)。ふーっ。

まとめてしまえば、こんな感じなのですが、とにかく解決法がはっきりしないので、
他のことは全く手に付かず、この一週間は自転車店を探して周るか、ネットやに缶詰
めになって情報収集するかのどちらかで、ほとんどの時間を過ごしてしまいました。

それにしてもどうにか解決できてよかったです(結局一カ月以上、シティに滞在して
しまった...)。
ということで、明日こそ出発じゃぁぁぁ!

追記:
1.パンの中をほじって捨てる。
以前にお知らせしたメキシコ版フランスパンのボリヨを食べるとき、こっちの人は何
故か中身をほじくり出し捨てます。なぜ?
2.洗濯は洗濯板で。
洗濯機が家にあっても、基本的に洗濯は洗濯板で。洗濯板というより、コンクリート
製の洗濯施設がどこの家庭にも備え付けられています。そして、彼らは洗うのめちゃ
くちゃ早いです(あたりまえか)。


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ニューズレターVol.4(2005.2.25)

Subject: ぺだりんぐ・あらうんど・ざ・わーるど ニューズレターNo.4(2005.2.25)

今日でとうとう2週間もここメキシコ・シティ滞在です。
前回、冗談で「また来週」と書きましたが、本当に週刊になってしまいました。

ちょっと気疲れ
イクソ君のおやじさんが何かと手を焼いてくれ、ちょっと気疲れしました。
連れていかれた近所の市場では、各店でいちいち僕の旅の説明をしてまわり、その都
度何かしらタダでいろいろ食わしてくれました。テレビの次は新聞社に知らん間に連
絡されて、新聞社にも連れていかれました(もう、えぇっちゅーの。でも、好意はム
ダにできない...)。

ダウンタウン
米大使館にアメリカの入国カード(I-94W)を返却に、日本領事館に情報収集に、日本
からの荷物を受け取りに、次の訪問国・ベリーズ大使館にビザを取りに、日本人宿に
情報収集に、その他観光目的に、合計3回自転車で市街へ出かけました。
全世界で最も人口密度の過密な都市であるとか、NYよりもデカイとか、いろいろ話は
聞いていましたが、確かにまぁ、デカイしゴミゴミしてます。
露天多すぎです。はっきりいって邪魔です。コピーDVDとかコピーPCソフト売りまくっ
てます(DVDはデータ飛びまくってます)。著作権協会も真っ青です。
イクソ君に「あれだけ沢山、街角にポリスが立ってるのに、何で取り締まらない
の?」と聞いたら、「一店取り締まったら、全部取り締まらにゃならんし、暴動にな
る」と、冗談交じりに言ってました。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」状態です。
ネット・カフェ無線LANオーケーです。暗号化無しなので通りでやればタダなんです
が、さすがにここメキシコではやる気になれません。
尋ねてみた日本人宿に一度は移動しようかとも考えましたが、どうもその雰囲気にな
じめないし、なんのメリットもないので、結局ここに2週間もお世話になってしまいま
した。
近所のネット・カフェは市内の1/4ぐらいの料金で有線LANさせてくれました。露天で
売ってるタコスなんかも郊外のほうが全然安く、ほぼ半額です。自転車で走りながら
値段を聞いていくと、市街地7ペソ→ちょっと郊外5ペソ→郊外(市内との境界を越え
ると)3~3.5ペソと、面白いぐらいに安くなっていきます。

親切?なじいちゃんサイクリスト
1日だけ交通量が少なくなるという日曜日に観光目的で市街へ出かけましたが、到着後
ほどなくして、じいちゃんサイクリストに捕まってしまいました。
予め手に入れておいたフリーのガイドブックに載っていた、観光バスのルートを辿っ
て観光してやろうと計画していたのですが、このおじいちゃんに、あっちへこっちへ
訳も分からぬまま連れ回されました。言葉ができないから、やんわり断ることもでき
ません。
そうこうしているうちに、カフェで休憩取ってる地元のサイクリスト・クラブの連中
と遭遇。彼らは何人か英語ができたので、つい話し込んでしまいました。
結局、観光できずじまい。でもこういう出会いがあるから自転車旅行は楽しいんです。

ドライブ・マナーについて
シティは特にドライブ・マナーが悪いと聞いていたとおり、最初は「危ないなー」と
何度も思ったのですが、こちらでは日本と真逆で、車>バイク>自転車>歩行者の順
に強いと聞かされてからは、ある意味「これがフツーか」という感じになりました。
マナー云々というよりは、文化の違いというところですか。
右左折時、歩行者優先なんてことはないです。歩行者は右左折車、Uターンしていく
車、すべてが通り過ぎるまで待たなければいけません。
自転車が直進でも、右左折する車のほうが優先です。親切な車は、追い越し右折(こ
ちらは右側通行)する前にクラクションで知らせてくれます(これが親切なの
か?)。大抵は、何の予告もなく追い越しざまに僕の目の前で突然右折していきま
す。ミラーないと走れません。でも、彼らのアグレッシブなところは、結構僕に合っ
てるような...。
ただ、マナーということに関して注文をつけるとすれば、「せめて指示器出してく
れ!」ということです。指示器無しで突然、目の前で右折されると、やっぱり危ない
です(指示器出してないのではなく、指示器が壊れているのかも?)。

テオティワカンへ
紀元前3世紀頃から、紀元後10世紀頃まで栄えたというテオティワカンの遺跡を見に行
ってきました(よく耳にするトルテカやアステカよりも古い文明です)。
片道おおよそ50キロ。郊外から直通の有料高速が走っていて、簡単に到着できるはず
が、途中二度料金所で追い返され、仕方なく危険な一般道を道を聞きつつ走る羽目に
なりました。
肝心の遺跡はというと、mas o menos(スペイン語で「まぁまぁ」)という感じです
か。土産売りのおっちゃん・おばちゃんが、そこかしこに居て、熱心に営業してました。
こちらでは、東洋人を見ると、見分けがつかないので大抵、チーノ(中国人)と呼ば
れますが、遺跡にいた土産売りは、「恋人に...」とか「安いよ!」とか日本語しゃべ
ってました(彼らはアジアの観光客は大抵日本人だと知っている?)。
帰りは強引に高速道を。高速道には、「自転車禁止」の看板の他に、「バスの乗降禁
止」のような看板も建ってます。最初は何のことか分からなかったのですが、恐らく
無許可の白バスなんでしょう、小型のマイクロバスが、頻繁に路肩に止まっては人を
乗せたり降ろしたりしてます。ふっとその先を見ると、必ず鉄格子や有刺鉄線が切断
されていて、外と行き来が可能に。
ということで、帰りは料金所の前後でこの抜け道を使い、全行程高速道走らせてもら
いました(行きは半分高速、半分一般道)。
コピーDVDのことといい、これらのことといい、こちらでは、形式的には禁止されてい
ることでも、実質的にはみんな平気でやってる、ということです。

前回の食事についての訂正と追加
「スワデーロ=表皮に近い部分」→「肩付近の肉」だそうです。
とにかく、タコスの具に使われる肉は、モツにしろ、腸詰めにしろ、もとが安いもの
がほとんどです。ビステク(ビフテキ?)という普通の肉を注文してみたら、やはり
少し高かったです。
チチャロン:豚の皮を、ラードで揚げたもの。市場で食べたチチャロンはラードで揚
げられていたので、いかにも豚肉臭かったのですが、パッケージ入りでスーパーなん
かで売ってるやつは、植物油で揚げてあり、脂っこくなくなかなか美味いです(チリ
ソースかけて食べます)。
さらにこれを煮込んだ料理も食べさせてもらったのですが、ゼラチン状になり独特な
食感で、はまってしまいました。日本で言う「薄揚げ」みたいな感じです。
シラントロ:タコスにタマネギと一緒についてくる薬味なのですが、届いた辞書で調
べてみると、コリアンダーとなってました。これが独特のえぐみがあって、どうも好
きになれないので、いつも抜いてもらってます(外国人が寿司からワサビ抜くような
もの?)。

足止めくらった主な理由の、日本からの荷物も届いたことだし、そろそろ出発の時です。
標高2000kmの次は、ユカタン半島のジャングル地帯です。

それでは、また!
!アディオス・アミーゴス!


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ニューズレターVol.3(2005.2.18)

Subject: ぺだりんぐ・あらうんど・ざ・わーるど ニューズ・レターNo.3(2005.2.18)

2/12首都メキシコ・シティに到着。

バハのメキシコ人は商売上手
バハ最後の4日間を一緒に走ったカップルのサイクリストDylanとCheriは、スペイン語
が出来ます。特にCheriはペラペラ。そんな二人と一緒にいたので、何もかも二人まか
せ。フェリーのチケットも二人と一緒に購入したのですが、「日曜日の運行は無い
よ」と聞かされていたのに、「行くだけ行って無かったらビーチでテント張る」と先
に出たThomasとAndreas(ドイツ人とスイス人のサイクリスト)の二人はちゃっかり日
曜日のうちにバハを後にしていました。まぁ、とにかくバハのメキシコ人は(明らか
に故意の)ウソが多いです。3km先に別のレストランがあるのに、「次の街まであと
30km店は無いよ」と腹ぺこの僕らに選択の余地を与えなかったおばちゃんもいました。
さて、僕らの乗ったフェリーですが、これがまた「ただの貨物フェリーじゃん」とい
う感じ。デッキにプレハブでパッセンジャー用の部屋を造り付けただけ。雑魚寝でも
出来るのかと思っていたのに、みんなベンチで窮屈そうに寝てました。僕らはデッキ
にマットを敷いて寝袋で寝かせてもらいました。

ペア・ランもいいけど、やっぱりマイ・ペースが一番
翌日、定刻より1時間半遅れて本土のMasatlanに到着。ここで二人の知り合いの家に一
緒にお世話になる予定をしていたのですが、連絡が付かないので、その場で二人と別
れ、一人南へ向けて走り始めました。
二人と一緒に走っていたときは、初日だけ別行動。残りの3日は彼らが少しペースを落
とし、僕がかなりペースを上げてなんとか一緒に走行(ドラフト走行させてもらって
も、まだしんどかったです)。という感じで、どちらかというと彼らのペースで走っ
たのですが、一人になって思うことは、「旅は主体性を持って、そしてマイ・ペース
が一番」ということ。
ドラフト走行っていうのは、真後ろにぴったりとくっついて、前のサイクリストを風
よけにする走り方です。向かい風の日に、現地の人を見つけたら同じようにしてドラ
フトさせてもらってました。エアが少なすぎで太いタイヤは大抵MTB用のパターン付き
の物で、ギアもあまり軽いのがない為か、荷物は積んでなくても大体同じようなス
ピードで走ってくれます。

ずっと忘れていたガソリンスタンド泊
アメリカでは、まず断られるので鼻から相手にしていなかったガススタ。一人になっ
て二泊目の夜、恐る恐る尋ねてみると、気持ちの良すぎる「O.K.」が返ってきたの
で、体も拭けて、鍋も洗えて、快適なキャンプが出来ました。でも、翌朝食料に蟻
が...。グラノーラ(ミューズリ)の袋の中にウヨウヨ入っていたヤツらを寄って分け
るのに半時間費やしました。

まさに命がいくつ合っても足りない状況
メキシコの一般道は、片側一車線で路肩無しというのがほとんどです。バハでは交通
量が少なかったので問題無かったのですが、本土はとんでもない交通量。Masatlanか
ら次の大都市Tepicまでの間には、有料高速道が建設途中で、一般道しか無い区間がか
なりあり、そこで何度も死ぬ思いをしました。
普通車同士の擦れちがいの横を走るのは、まぁ大丈夫です。普通車とトラックの擦れ
ちがいの横も、こちら側が普通車なら、まぁいけます。しかし、やつらはトラック同
士の擦れちがいも、僕の横で平気でやりやがるのです。
反対車線にトラックを確認、ミラーで後方のトラックを確認、これはヤバイ停車しよ
うと十数m先の空き地を目指している間に、どちらも減速せずに真横で行き違いやがる
のです。登り坂でふらついて、グラッと行こうものなら、まず間違いなくあの世逝き
でしょう。

二日間の雨天走行で迷いこんだ田舎町
バハで声をかけてくれたアメリカ人のリタイヤじいさんを当てに、海岸沿いに南へ下
るルート(アカプルコ経由でシティを目指す)も考えていたのですが、どうしても連
絡が付かない。ということと、そちらのルートだとかなりの日数一般道を走らなけれ
ばならない。そして、一度1000mまで上げた高度をまた落とすのがアホらしいという三
つの理由で、Tepicという街からまっすぐメキシコ・シティを目指すことにしました。
この日、雨の中このTepicという街で、安い宿を探してうろついていたのですが、9.5
ドルだと書いてあるのに11.5ドルだという、あきらかに差額をぽっぽに入れるつもり
のおじいの宿をけったので、ケチがついたのか、安いところをと次々聞いて回る度に
高くなり、結局、夕闇直前転がりこんだモーテルは15ドル。
翌朝外に出てみると、シトシトと雨。まさか連泊するわけにもいかず、出発したので
すが、みごとに丸一日雨。夕方、山中の田舎町で、なんとか屋根のあるところでテン
トを張らせてもらおうと、ウロウロしていると、「着いてきなさい」と一人の紳士が。
教えてくれたのは街のど真ん中にある公民館のような建物の軒下。真向かいには市場
なんぞあるのですが、「屋根の下ならどこでもいいわい」、フライシート張らずに済
むから自転車も丸見えだし、まさか盗難に遭うこともなかろうと一泊させてもらうこ
とにしました。

くそガキども
テントも張って、食事も済ませて、さぁ休もうかと思っているところに近所のガキど
もが...。ちょうど会話の勉強になっていいかと、相手をするのですが、こちらが一つ
の単語を辞書で調べ終わらないうちに、別のガキが別のことを...。「おいおいさっき
の話はどうなった?」
そして、僕の持ち物を次から次へといじくり回すのです(でも決して持ち去ろうとは
しません)。一人二人と帰っていっても、また新たなガキどもが。「おいおいもう12
時まわってるぞ、親は何しとんねん。」

まさかの連泊
翌朝、やっぱり雨降ってました。寝袋に潜って昼まで寝て、屋根の下だし、タダだ
し、ということで、結局連泊することに。当然この日も一日ガキどもに振り回されま
した。いつまで経ってもガキ0人にならないので、「メシ食いに行くから」と追いかえ
し、市場のタコ屋で晩飯に有り付くと、今度は女子高生から質問責め。まぁ、こちら
はちゃんと会話になるのでO.K.です。ブスとデブなのが玉に瑕か。
土曜の夜はミサの行列を見かけたり、出発した日曜は朝市で、いっぱいうまいもの食
ったり、とっても風情のある古びた田舎町で、とてもいい所だったのですが、このガ
キどもにはまったく難儀しました。

有料高速最高
内陸に入ってからはほぼずっと有料高速を走ってきました。そしてこの道は天国のよ
うです。有料だからか交通量少ないです。なのに片側二車線以上あってその上、立派
な路肩あり。路肩は幅も十分、路面も最高なので、フロントバッグに乗せた辞書なん
ぞで勉強しながら走ったりもできます。
そして、サイクリストにとって重要な急勾配が少ない。丘はちゃんと削って緩やかな
坂にしています。川にも立派な橋が架かっています。
極め付けはキャンプ地。はじめはそのあたりで野宿するつもりでいたのですが、料金
所と併設してあるレストエリアで「テントで寝ていいですか」と尋ねると。すんなり
O.K.。芝生があってベンチとテーブルがあって、トイレがあって、体も拭けて、鍋も
洗えて、持参の食料食っても何も文句はいわれない。「有料キャンプ場、しっかりし
ろよ!」という感じです。結局ほとんど毎日、この料金所近くかガススタでキャンプ
してました。一度その快適さを味わうとなかなか野宿生活には戻れません。
しかしこれ、日本でいうと、東名高速を自転車で走り、サービスエリアの片隅でキャ
ンプ張ってるのと同じなんですよね。

食事
メキシコに入ってから、外食が増えた(せっかくだから、現地の美味いもの食いた
い)のですが、バハはとても高かった。ので、アメリカと同じく、スーパーで買った
食パンや、菓子パン、インスタント食品で済ませることが多かったです。「マチャ
カ」という肉を乾燥させて繊維状にほぐした保存食品を買い、自分でタコス作ったり
してました。
本土に移ってからはというと、
朝はオーストラリアで定番にしていたグラノーラ(ミューズリ)。アメリカではケー
キ用の脱脂粉乳などしか売ってなかった(新鮮な牛乳があるから?)のですが、ここ
メキシコでは、粉ミルクがとてもポピュラーです。で、前日の晩、タッパーにグラ
ノーラと粉ミルクを放り込んでおき、朝は水を加えるだけですぐ食べれます。これが
安くて、腹持ちもとてもいいです。
昼は外食、店が見つからないときは朝と同じメニュー。今まで食ったものは、
タコス:お馴染みトルティーヤに、肉やモツ、魚やエビのフライ、チーズなどをはさ
んだもの。トルティーヤは小麦製とトウモロコシ粉製があり、トウモロコシの方がう
まい(北部は小麦製、南部はトウモロコシ製が多いそうです)。また、大きさや厚
さ、調理法(焼く、蒸す)など、場所・店によって違う。
トルタ:パンにチキンや豚などの肉類をはさんだもの。パンは店によって違うんです
が、やっぱり「ボリヨ」というメキシコ版フランスパンが一番美味いです。
(いずれも、トマトやキャベツ、玉ネギ、アボカドなどの野菜類やサルサソースなど
を自分でお好みでトッピング)
タマリ:トウモロコシ粉を練ったものの中に、肉・野菜・チーズなどを詰め、トウモ
ロコシの皮で包んで蒸したもの。外見は大きなちまきに見える。さらに、油で揚げる
ともっと美味い。レストランなんかではあまり見かけず、通りを売り歩いている人か
ら買います。
ケサディーア:簡単に言うと、タコスを油で揚げたもの。具がチーズだったりする
と、餃子みたいにぴったり閉じて揚げるのでけっこう美味い。でも、大抵の店は爪楊
枝で閉じるだけで油につっこむので、具が脂ぎってちょっと気持ち悪い。
エロテス:トウモロコシを丸ごと炭火であぶって、ライムを使ってチリパウダーを塗
ったくったもの。ライムの酸味とチリの辛さのバランスが絶妙です。
ゴルディータ:トウモロコシ粉を練ったネタと具(肉類とかチーズ)を一緒に混ぜて
しまって、ホットケーキ状にして焼いた物。二枚におろして、間にキャベツとか野菜
類とチーズ挟んでくれます。
どれも安くて美味いです。他に、
フルーツ盛り:砂糖とライムをしぼってかけてくれる。「チリは?」と必ず聞かれる
が、試したことは無い。こっちの人は何にでもチリかけます(アイスとかゼリーにか
ける人も)。
炭酸ジュース:なにやら体に悪そうな、どぎつい色のジュースに、スプーン一杯の炭
酸粉を入れて渡してくれる。さっと飲まないと、吹きこぼれる。
オルチャタ:たぶん日本で言うにがりです。米に水を加えて白く濁った水に、コンデ
ンスミルクと砂糖、シナモンを加えて冷やした飲み物。
アトリィ:こちらは温かい飲み物です。ミルクに米と小麦と砂糖を加えて煮た物。
チチャロン:豚の皮を、ラードで揚げたもの。さくさくとお菓子みたいな感じ。臭み
があって、なんか脂食ってる感じ。慣れるとはまりそうなので、いっぺん試したっき
りです。
など、まぁ、とにかく屋台回りは楽しいです。はっきり言って病みつきってやつです。
晩飯は、パスタやライスのインスタントパック、ラーメンなどに、玉ネギやニンニク
などを加えてやる程度の自炊。
水について:バハにいるときは水道水を平気で飲んでました。LaPaz近辺で他のサイク
リストと話してから、水道水は止めたのですが、皮肉なことにそれ以降、なぜか腹の
調子が悪いです(以前は絶好調でした)。
水は、晩飯食う時についでに煮沸しておく分以外は、ボトル入りのものを買って飲ん
でます。浄水器持参しているのですが、その都度バッグから取り出すのが面倒くさく
て。1ガロン(たしか3.74l)が150円ぐらいなので、まぁいいか、という感じです。
現地の人も水道水は飲みません。飲料水屋さんみたいなところもあるし、その辺の雑
貨屋に必ず大きなボトルが売ってあって、みんなそこで買ってます。昨日見たニュー
スで、トラックなんかで売り歩いてる格安の水は、水道水を詰めたものなんかがある
らしく、結構問題になっていると言ってました。
タコスの具もいろいろ試したので、報告します。
牛(トリパ=腸、ロンガニッサとチョリソ=ソーセージ、スワデーロ=表皮に近い部
分、セソス=脳みそ、レングア=舌など)
他に、テキーラの原料として使うマグエィという植物の葉で包んで蒸した仔羊の肉な
んかも美味かったです。

トラブル大量発生
メキシコ・シティまであと400kmほどのあるキャンプ地での朝。テントを片づけ自転車
に荷物を積もうと、ふと見ると、リアタイヤがパンク。さっと直してフレームに装
着。このときディレーラーとスプロケの位置を合わせるために、シフターでケーブル
を引っぱったら、ブチッ。ワイヤーを交換しようとシフターを見ると、最後のワン・
クリックが引っ掛かって、切れたワイヤーが取り出せない。何度も転倒させたりした
ために、壊してしまったと思われる(数日前から変速の調子が悪く、きっとワイヤー
切れかかってるな、とは思ってた)。
幸いLeonというそこそこ大きな街まで10kmほどだったので、3段目あたりで変速器を固
定し、自転車屋を探して徘徊しました。で、自転車屋はたくさんあるのですが、どこ
も高級パーツは扱っていない。2時間ほど探しまわってやっと代用品のある店を発見。
なんとか無事交換できることができました。
このときついでに、前々から考えていたチェーンホイール(フロントのギアの歯)も
交換しました。もともと付いていたパーツはロード・レーサー用なので歯数が多く、
登り坂でインナーに切り替えても、まだ重いのです。逆にアウターを使う機会といえ
ば、急な下り坂のときだけ。交換したチェーンホイールはMTB用で22T-32T-44T、もと
のは30T-42T-52T。このMTB用の2枚目と3枚目がもとの1枚目と2枚目とほぼ同じなのだ
から、随分ムダなことしてきたなという感じです。

海抜0mから標高2600mへ
最初の1000mが一般道で九十九折りが多かったので、本当に危なかったです。その後し
ばらくは、1500m~1800mの間でアップダウンの繰り返し。これが結構しんどかったで
す。スペイン語で一~千まで数えながら黙々と走りました。その後1800m付近のフラッ
トな高原が300kmほど続き、あとはメキシコ・シティの直前でまたアップダウン。一度
2600m付近まで上げて、シティは2200mほどです。シティに入る前日は、2200mでキャン
プ。その前日は1800mほど。この400mの差で、夜の冷え込みが、随分違いました。恐る
べし標高差です。

換金について
アメリカを出る前に、現地通貨をいくらか用意しておこうと、メジャーな両替商でメ
キシコ・ペソに換金しようと思ったのですが、レートが$1=10ペソ(聞いていた話によ
ると$1=11ペソ)で、その上$5の手数料。馬鹿らしいので、ドルをそのまま使うのです
が、やはりほとんどの場所で$1=10ペソ。たまに$1=11ペソでお釣りをくれる店もある
のですが、どちらかというと前者の方が多いです。
ところが、大手スーパーで買い物したときにドルを使うと、まっとうなレートでおつ
りが返ってきます(レシートにコンマ二桁ぐらいまで、ちゃんとレートが載ってま
す)。だもんで、大手スーパーを見つけたときは、必要なものを小分けにし、何度か
レジへ足を運んで、まとめて両替したりしてます。
ただ、VISAのトラベラーズ・チェックはまったく相手にしてくれません。アメックス
じゃないとダメだそうです。

テレビ出演
ここメキシコ・シティでは、とあるファミリーの所にお世話になっています。アメリ
カはユタ州にいるときに現地で会ったイクソ君に、「メキシコに来たときには、是非
寄ってくれ」と言われたので、訪ねてきたわけなんですが。
なんだか、彼のおやじさんとその弟さんにえらい気に入られて、よく分からんうちに
テレビ局へ連絡され、翌日、地元の高校のキャンパス(大学のキャンパス並みにデカ
イ)へと、訳も分からず連れていかれました。
高校の門をくぐって、先の方を見ると何やら人だかりが...。近くに寄っていくと、え
らい歓声で迎えられて、なんだかちょっとヤバイ感じ。ミス・キャンパス?みたいな
二人に囲まれ何枚も記念撮影。生徒や先生達、果ては清掃係やら警備員からも何枚も
記念撮影をねだられ、派手な応援幕まで用意されてる始末。まるで無理矢理アイドル
ヤラされている感じで、かなりキショかったです。
で、そのうちイクソ君の通訳を通してインタビューが始まり、キンチョーしまくりな
がら応答しつつ、「そんなに大騒ぎすることでもないのに」と思いながら、かなり恥
ずかしい思いをしました。まぁでも、いい思い出できました。
家では旅のことや日本のことを色々聞かれ、彼の祖母やら叔父やらも何かと手を焼い
てくれます。だもんで、まだ市内観光にも行ってません。
なぜか日本の漢字が大人気で、彼らの名前を漢字で書いてくれとねだられ、亜米利加
みたいな感じで当て字を何枚も書かされました。彼らの話によると、この当て字を書
くだけで大金稼いだ日本人がいた(いる)そうです。

とにかく毎日がかなりエキサイティングです。
日本からの荷物も待たなきゃならんし、当分ここシティでゆっくりします。

アスタ・ルエーゴ!アミーゴス!



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ニューズレターVol.2(2005.1.30)

Subject: ぺだりんぐ・あらうんど・ざ・わーるど ニューズ・レターNo.2(2005.1.30)

メキシコはバハ・カリフォルニア半島南端の街La Pazに滞在中です。
1月13日、15日間も滞在したSan Diegoを出発しました。

15日間も何をしていたかというと、ほとんどWebサイトの制作作業と言えるんでしょう
か。今回パソコンを持参したのは、写真の現像と整理、GPSトラックの管理が目的で、
本当はあまりサイトを作ったり更新したり等したくなかったんですが、道程でお世話
になった人々や日本の家族友人に作るからと約束してしまったので、しょうがなしに
制作開始。性格柄、やりだしたらとことんやってしまうタチなので、人のHPのソース
を見ながら、完全に忘れてしまっていたHTMLとスタイルシートでシコシコと作業して
ました。そんな訳で、今後は写真の追加とGPSトラックデータの更新、あと特別コラム
にでも出来そうなことがあったら、コラムの追加程度の更新作業しかしません。近況
報告などは、このニューズ・レターでお知らせさせていただきたいと思ってます。

ところで、フリーで無線LANを使わせてくれるというので選んだ宿は、夜な夜な飲めや
騒げの、いかにも南カリフォルニアのナイトライフの代表ですとよ、いった感じの所
だったので、一日中宿に缶詰めになってた僕は完全に浮いた存在でした。隣に寝てい
たアイルランド人の女の子に、「12時になったら起こしてね(夜8時頃に)」と何度も
頼まれ、そこまでして夜飲みたいのかと随分あきれさせられました。

宿を出発した13日、国境を越える前に、市の中心街でドルを引き出しておこうとし
て、口座が凍結されていることが発覚。こちらでは、カードが機械に吸い込まれるこ
とはなく、スライドさせて磁気データを読ませた後に暗証番号を入力したりと作業す
る仕組みで、どうやら前回引き出したときに、二度カードを通していたらしく、後か
ら来た人が自分のカードと勘違いして3回、違った暗証番号を入力したために、凍結さ
れてしまったという訳です。冷や汗かきました。

国境まで40kmほど走り、とうとうメキシコへと越境です。越境は聞いていたとおり簡
単なもので、アメリカ側の出国手続きは無し。メキシコ側の入国管理事務所はといえ
ば、まるでプレハブ小屋のような建物のなかにあり、レンタカー屋などと並んである
うえ、中はせいぜい2畳ほどの広さ。で、入国税を支払う為の銀行の場所を聞いた
ら、目の前にあるバスのチケット売場のような窓口を指さされ、まるで国境とは思え
ないほどチープな施設でした。

車で越境していく人々もほとんど素通り状態。反対にアメリカ向きのゲートには、長
蛇の列ができていて、聞いていたような匂いの変化はなかったものの、ゴミゴミした
街の感じは顕著で、確かに雰囲気がガラッと変わりました。。

それを尻目に一路西海岸へと。一般道よりも有料の高速道(自転車無料)のほうが安
全だと聞いていたので、そこから高速道に乗ろうとしたのですが、料金所の前に自転
車不可のサインが。一応ゲートの前まで行ってみましたが、案の定おばちゃんにダメ
と言われました。

見ていると、料金所のまん前だけ中央分離帯がなく、やってきた車の半分以上がUター
ンしていくので、しょうがなく僕も来た道を引き返し、一般道へ向かいました。海岸
沿いの道を南へと走ると、ビーチも近く、「こりゃよっぽどこっちの方がいいや」と
考えているうちに、道はダートに。「おぉ、さっそくダートか」と思って走ってる
と、行き止まりに。そういえばさっき車のおっちゃんが「そっちじゃないぞ」とか叫
んでいたような。で、また引き返し、高速道との間のもう一本の道を...。親切なおっ
ちゃんが、また「どこへ行くんだ、この先道は無くなるぞ」と結局、次の街まで高速
道しか道は無いらしく途方に暮れながらも前進、高速道に突きあたったところで、も
うしょうがないので、崖を登って高速に乗ることに。何とか登りきったところで、い
い具合のキャンプ地を発見、取り敢えずその日は寝るこしました。

翌日さっそく高速道を走行。道端には相変わらず自転車不可のサインが。でも、陸橋
などの設備がないので、地元の人は普通に高速道路を歩いて横切ったりしてるんで
す。また、途中チョコチョコ現れる小さな町への乗り下り口にも料金所らしきプレハ
ブ小屋があり、中でおっちゃんがうたた寝してます。トラブルにならないうちにと、
急いで次の町まで走ってしまいました。
そこで初めてスーパーへ。しかし、アメリカで大手スーパーのプライベートブランド
商品と1$ショップの物価に慣れてしまっていた僕には、生鮮食料品以外、とても物価
の安い国とは思えず、少々がっかりしました。

で、ここからもう一度高速道路にトライ。料金所で自転車はダメですか。と聞くと
「自転車はダメだ」「歩きなさい」「?」言われたとおり歩いてゲートをくぐり、警
備中のパトカーに愛想良く手を振って走りだすと、さっそく自転車不可のサイン。
つまり、建前では自転車は走っちゃイカンが、実際には無料で走れるというのが現状
のようです。ただその高速道路も長くは続かず、せいぜいここまでの距離の5%ぐらい
だったと思います。その後は一般道を走ったわけですが、路肩は無いわ、車はおおい
わで、西海岸を離れるまでは難儀しました。

西海岸を離れるころからアップダウンが始まり、一番標高の高いところでもせいぜい
900mぐらいしかないのに、なぜか九十九折りの登り坂が多く、その上これも何故か橋
というものがまったくなく、ちょっとした小川は全部一旦下ってまた登るというスタ
イルで(もっともみんな枯れていて、水は流れてないんですが)、相当苦労させられ
ました。ただ、その辺りから電線が姿を消し、眺めは最高に良かったです。所々にあ
る民家の人はどうやって電気を使ってるんでしょうか?ある家ではソーラー・パネル
でテレビから衛生法送受信機から使用しているようでした。

サボテンも最初は珍しげに眺めていたのですが、もう途中からは樹と変わらん存在に
なり、風景にも飽きてきたころ、総走行距離5,500kmあまりにしてようやく他のサイク
リストに遭遇。残念ながら彼ら一団(6人)は、北向きだったので、立ち話しかでき
なかったのですが、何と同じ日に今度は南向きのペアのサイクリストと遭遇。あまり
にうれしくて長く話し込んだ挙げ句、ここまで一緒に走って来ることになりました。
3泊一緒にテントを張り、ここLa Pazでも近くの宿。同じフェリーで1/31に本土に渡
る予定です。

この二人(ディランとシェリー)はといえば、一日3時間前後、60kmほど走って後は
ゆっくりするというスタイル。一日100km前後は必ず走るようにしてる僕とは全く違う
スタイルで、最初はそんな走り方もあるよなぁ等考えたのですが、荷物が軽いのと、
体がデカイのとで、やたらとスピードが速く、距離は短くても結局同じぐらい体力を
使わされました。

そして、ここLa Pazでは、一泊だけこちらに在住の日本人の方の家にお世話になった
のですが、諸事あってホステルに移動してきたところ、何とそこにも2人サイクリス
トが。一人はアラスカから中米まで。もう一人はヨーロッパから南アメリカ最南端ま
で。で、二人はどちらかというと僕のスタイルに近い走りをするようで、3人で部屋
をシェアすることができたこともあり、話が盛り上がりに盛り上がり、なかなか自分
の仕事が手に付かなかったので、このニューズ・レターも徹夜で書かにゃなりません
でした(二人は今寝とります)。

メキシコに入って間もなく3週間になろうというところですが、ここまでに感じたこ
とはといえば、
1.聞いていたほど物価が安くない。ここバハ・カリフォルニアは観光地なので高くて
当たり前なのですが、それにしても高すぎる。

2.スペイン語がチンプンカンプンなので、まったく面白くない。しゃべれなくても、
どうとでもなるんですが、会話がないので、なーんも面白くないんです。

3.シェリーがペラペラなこともあって、一度こちらメキシコ人の家の軒先で大雨の日
にテントを張らしてもらったんですが、そんな彼らの生活が、(見た目に)あまりに
貧しそうなので、とてもイビキをかいて寝たりできない。その日は、偶然その集落
(といってもその一家族だけ)に雨の降る直前に到着したのですが、「食事は?コー
ヒーは?」と勧められてもこちらは自炊の準備をしているものだから、断るわけで
す。でも、観光客相手のそんなレストラン経営が彼らの生活の糧なはずだから、やっ
ぱり頼んだ方がよかったのかなぁ。などと後から後悔してしまうわけです。
こっちも1$たりともムダにはしたくないんですが、それでもやっぱり持ってるものは
持ってるわけで、2~3$ぐらいの食事ぐらいしたって良かったのになぁ...。という感
じです。

これから本土に渡るとまた雰囲気もガラッと変わると思うんですが、なんにせよスペ
イン語を何とかしないと、この先1年つまらん旅になり兼ねないので、本やら辞書や
ら家族に頼み、メキシコ・シティーで受け取る段取りをつけることができたので、ひ
とつ本腰入れて勉強してみようと思ってます。

ということで、かなり長くなりましたが、また来週。

ニューズレターVol.1(2005.1.12)

Subject: ぺだりんぐ・あらうんど・ざ・わーるど ニューズ・レターNo.1(2005.1.12)

2004年11月6日、関空よりロスを経由してカナダのバンクーバーへと飛びました。自転
車と荷物をひとつの段ボールにまとめたのが祟り、5万強のチャージをかけられ、いき
なりの手痛い出費になりました。

バンクーバーでは、どんよりとした雨の中を初日から夜間走行するハメになり、当日
は何とか都市部を脱出したところで、ガソリンスタンドの脇にテントを張らせてもら
いました。ただ、すぐにアメリカに入るつもりでカナダドルを用意していなかったの
で、翌日国境を越えるまで、ちょっと苦労しました(アメリカドルを使わせてくれて
も、おつりは、同額面のカナダドルで返ってくる)。

国境をまたいでから、3日目にワシントン州の州都シアトルに到着。ここの安宿で日本
語のガイドを見つけ読んでみると、どうやら北西アメリカはこの時期、雨ばかりだと
いうことが分かり、当初考えていたとおり、すぐ内陸に向けて移動することにしました。

さらに南に下り、オレゴン州のポートランドからコロンビア川の南岸沿いに内陸へア
イダホ州、ユタ州と移動し、ソルト・レーク・シティに着いたのが11月の24日です。
寒くなるのを恐れて、ここまでノンストップで走り続けました。

コロンビア渓谷を眺めながら走っている間は、紅葉を楽しむ余裕もありましたが、ア
イダホ州に入る手前から急激に標高を上げ、一気に冷え込み、雪もちらつき始めまし
た。現地人の無責任なアドバイスとは裏腹に、南へ行くに連れ気温は下がり続け、ソ
ルト・レーク・シティ滞在中に巨大な寒気団が到来。その後、極寒の中の走行を余儀
なくされました。

ソルト・レーク・シティを出てから、日中の最高気温が氷点下、夜間は-15℃以下とい
う日が何日か続き、標高も一時2500m付近まで上がり、不覚にもモーテルで一泊。走行
中は体感気温-5℃の中、手足の指の軽い凍傷に苦しみましたが、ユタ州内で合計6家族
8晩もお世話になり、随分助けられました。

この間、ユタ州とアリゾナ州を行ったり来たりしながら、目的にしていたアーチー
ズ・ナショナルパーク、モニュメント・バレー、グランド・キャニオン・ナショナル
パーク、ザイオン・ナショナルパークを無事に走行することができました。

そして、ネバダ州からカリフォルニア州へと、あとはひたすら南西へ、です。ラス・
ベガスは2泊だけ、ロスも3泊だけして、現在はカリフォルニア州のメキシコとの国境
の都市サン・ディエゴです。ここまでで、4500kmの走行でした。

そして、ここサン・ディエゴでは、太平洋の陽光などどこ吹く風、連日の雨・大雨・
曇天・雷雨の繰り返しの中、日本からの荷物の受け取り、装備の点検・改良、自転車
のメンテナンス、テントの返品・買い直し品の到着待ち、スペアタイヤの到着待ち、
WEBサイトの作成、スペイン語の勉強?など日々の雑務に追われ、なかなか宿を出るこ
とができないでいます。ちょうど2週間。

野宿の難しさを心配していましたが、何げに、7都市(街)でホステル、1晩モーテ
ル、8晩米人宅、1晩有料キャンプ以外は、すべて野宿でいけました。

この後は、メキシコへと越境。バハ・カリフォルニア半島を走行し、首都メキシコ・
シティでその先の国々の情報を収集して、中米・南米と走行する予定です。



ダイジェストのような内容ですみません。
これからは、もう少し詳しくお知らせできるようにさせて頂きたいと思っています。
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